他人と比べて落ち込んだり、過剰な成果主義に疲れたり、自己成長や効率化への欲求から逃れられず、心がすり減ってしまう…。「求めるばかり」の生き方から抜け出し、人生に「真の幸福」を取り戻すにはどうすればよいのだろうか。
IVEチャン・ウォニョン氏や俳優ハ・ソクジン氏も紹介し韓国で262刷、60万部を超え、「哲学ブーム」の火付け役となった書籍『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに解説する。

幸福は健康が9割
健康な物乞いの方が、
病気の王様より幸せだ。
――『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』より
近年、多くの人がお金や肩書と引き換えに、生活の土台そのものである「健康」をすり減らしている。
翌朝の自分を犠牲にして深夜に活動し、身体にも心にも、余白がない。
ショーペンハウアーは、幸福の第一条件として健康を置き、それうぃ犠牲にしてまで得た富や権力は偽りだと指摘する。
「身体が整っていないと何をしても楽しくない」という当たり前を、私たちは見過ごしがちだ。
締切前に無理を重ねて達成した仕事が、称賛される以上に自分の不機嫌を生む瞬間がある。
身体の不調をごまかしたまま会議に臨んで判断を誤る場面もある。
多忙を理由に休暇を後回しにし、季節の変化をほとんど記憶できないまま1年が過ぎることもある。
どれも「王様の宝物庫」は増えるのに、幸福は減っていく逆説のよくある例である。
健康を第一条件とする視点は、享楽主義ではなく、判断の順序を正す態度に近い。
報酬の大小より先に「その選択は明日の自分に余力を残すか」と問うだけで、意思決定の質は変わる。
会食の席で話題を拾える集中力、移動中に風景を受け取る感受性、友人の冗談に心から笑える余白。
それらはお金では買えない。しかし仕事の成果にも人間関係にも直結する資産である。
幸福のほとんどは健康にかかっている。
昇進や収入アップを完全に否定する必要はない。ただ、交換の順番だけを改めればよい。
まず健康があり、そこに富や称賛が重なるなら、手に入れたものは真の喜びとして感じられる。
しかし、逆に順番を取り違えれば、宝物はただの痛みを増す重りへと変わる。
「健康な物乞い」は、貧乏になれという意味ではない。
ただ、幸福の前提にある健康の大切さを見誤るなと、私たちの選択の順序を静かに訂正してくれるのである。
(本記事は『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに作成しました)









