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若手社員のちょっとした言葉や行動に、上司が思わず「おっ」と目を見張る瞬間がある。そこには、成果の大きさよりも「仕事への向き合い方」に光るものを見出す「主体性」礼賛の視点があるからだ。管理職が語る実体験を手がかりに、どんなときに「主体性」が伝わり、評価や信頼につながっていくのかを探っていく。※本稿は、武藤浩子『「主体性」はなぜ伝わらないのか』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。
管理職が示した
「主体性」の中身とは?
近年、主体性は「思考力」「協調性」と結びついています。では仕事の現場でも、「主体性」は「思考力」や「協調性」と結びつくのでしょうか。
少し先取りして述べれば、管理職へのインタビューで示されたのは、主体性は「考える」と「発信する」を含んでいるということです。「考える」とは、緻密に考えることや、何らかの正解を導くことではなく、「自分なりに考える」ことでした。また、「自分なりに考える」だけでは主体性としては認められず、必ず「発信する」ことが求められます。
ではまず、「自分なりに考える」ことが、どのように語られるのかみてみましょう。
事業部門の管理職にとって、主体性とは、粗削りであっても、間違っていたとしても「自分なりに考える」ことでした。
J 主体的だなって思うメンバーは、なんとなく自分で答えを出そうとしている。あがいているって言うか、綺麗じゃなくても「考えてきました」みたいな回答を持ってくる傾向がある。(情報・通信)
D 自分の頭で考えてやってほしい。それが主体性かと。言われてないのに、僕こういうのが必要だと思いますって言うのは、すごい主体性が高いと思う。間違っていてもいいから考える。(製造)
Dさんは、自分なりに考えることを主体性だとして、「間違っていてもいい」と言い切ります。これらの発言からわかるのは、管理職は、社員の発言や行動によって、「自分なりに考えている」かどうかを判断しているということです。







