リーダー・半二郎の過ち
意思決定だけが独り歩きで組織崩壊

 この物語において明確な組織のトップが半二郎です。しかしながら彼はリーダーシップの過ちを犯します。それが、花井家という組織が崩壊する直接的な原因となりました。

 半二郎は、喜久雄の才能を認め大役に抜擢します。その決定の背景にある想いや葛藤を妻の幸子や、実の息子の俊介に十分に共有しませんでした。家族や周囲の「なぜ?」という疑念に答えぬまま、リーダーの意思決定だけが独り歩きしたのです。

 このように、半二郎にも感情共有の欠如がありました。それは、組織の人間関係を著しく低下させ、俊介の出奔という最悪の事態(=後継者の離脱)を招きます。

 こうした悲劇は、現代の会社組織でも日常的に発生しています。「新規事業がなぜ決まったのか、その意図や背景が共有されない」「人事異動や評価の決定理由は知らされず、結果だけがトップダウンで降ってくる」などです。

 人は、感情で行動を決める生き物です。理屈は理解できても、感情で納得していなければ、葛藤やわだかまりが生まれます。リーダーの決定がいかに正しく合理的でも、メンバーの感情を無視したコミュニケーションは、組織を崩壊させる第一歩となるのです。

俊介と喜久雄の『曾根崎心中』は
究極の感情共有、破壊から再生へ

 物語のクライマックス、重い病で片脚を失った俊介を、喜久雄が支えながら、『曽根崎心中』を命懸けで共演します。この舞台が、言葉を超えた究極の感情共有の場となりました。

 俊介の最後の花道にしてあげたいと願う喜久雄と、それを感じ取りながら全身全霊で演じ切る俊介。不器用ながらも芸に生きる2人の魂が、長年の確執を乗り越え、最後に見せる究極の感情共有は、観客の心を揺さぶるものでした。

 このように感情共有は時に理屈を超えて、人々の心を根源的に動かします。組織と人間関係の崩壊が、再生する希望も持ち合わせていることを示す、感情共有のパワーが強く描かれたシーンと言えるでしょう。