大学のあり方が変わっている

――なるほど。よく理解できました。MARCHや日東駒専のレベルは下がっていないわけですね。

びーやま:もしかすると学生の「入試的な意味での学力」はかつてに比べて下がっているのかもしれません。明らかにこれらの大学レベルの学力に見合っていない学生もいないことはないですから。

 ただ、それが絶対にダメなことかと言ったらそんなこともないと思っていて、「大学での必要な学び方」にフォーカスが当たっていればいいのかなと。

――詳しく教えてください。

びーやま:たとえばですが、大学での勉強は入試までの答えがある勉強とは異なりますよね。もちろん基礎学力はあるべきですが、試験偏差値が高いから大学での勉強に向いているかどうかはわかりません。いわゆるペーパーテストは苦手で嫌いだったけど、大学での探究的な学び方がハマって、「学ぶことの楽しさを知った」みたいなことはあると思うんです。

 今の時代は受験生が減った分、推薦の面接や総合型選抜のプレゼンなど、大学が「学ぶ意欲」の形を変えながらなるべく多くの学生をじっくり見られる機会を増やせていますから、それは大学本来の意義から考えてもいいことなのかなと。そこに加えて、既存のペーパーテストも残っているわけですから、バランスもいいのではないでしょうか。

――たしかに、入試方法が豊富になったことで大学の意義が保たれるというのはありそうですね。

びーやま:そうなんです。しかも常々、日本の大学は「入ることがゴールになっている」みたいなことを言われがちじゃないですか。そんななかで、「入ってからどんな勉強がしたいのか」が問われる入試が出てきているのは、世界と渡り合うためにもいいことだと思うんですよね。

 MARCHや日東駒専というのも今は入試偏差値で難易度が決まっていますが、もし時代が進んで一般入試がなくなったら、それこそ偏差値なんてわからなくなるわけですから、研究実績とかそういうもので大学が評価されるようになるかもしれません。

 そうなったら、偏差値なんか気にせず本当にやりたいことだけで大学を選べますよね。覚悟も相当求められるはずですが。