安藤氏の「管理者としての顔」は別人?
以下は『転んでもただでは起きるな!定本・安藤百福』(中央公論新社)に掲載されている名言録より抜粋した。
《近ごろ、上司が部下におべんちゃらをいうようになった。これでは下の者は育たない。若いうちは、首根っこをおさえてしごくくらいがいい》
《君たちはサラリーマンだから属人的な発想しかできない》
《全社員が危機感を持て》
《協調は大事だが、競争することはもっと大事だ》
《保身術が身を滅ぼす》
《人間はすべて善と悪をもっている。全人格を信用することなどありえない》
《君たちはまた会議をしている。会して議せずという。ちゃんと結論をだしているのか》
これらの言葉は、現代の感覚からすれば、あまりに厳しく、一方的に響くかもしれない。特に「首根っこをおさえてしごく」という表現は、強い抵抗感を覚える人も多いだろう。
小屋にこもり、たった1人で創造的な発明を成し遂げた人物と、部下に鉄の規律と危機感を求める人物。この2つの姿は、まるで別人のように見える。
安藤氏という人間は、単なる「優しい発明家」ではなかったのだ。この厳しい「管理者の顔」をどう理解すればよいだろうか。
ここで、経営学の古典的な理論である、ダグラス・マクレガーが提唱した「X理論・Y理論」を補助線として引いてみたい。これは、人間の仕事に対するモチベーション(やる気)について、対照的な2つの考え方を示したものだ。
「X理論」とは、いわば「性悪説」に基づいた考え方だ。「人間は基本的に怠け者で、仕事が嫌い。放っておくとサボろうとする。だから、会社は厳しいルール(ムチ)を作り、お金や地位(アメ)で釣り、厳しく管理・命令しなければ、人間は動かない」と考える。
学校の校則や、工場の厳格なタイムカード管理などは、X理論的な発想に基づいていると言える。
対して「Y理論」とは、「性善説」に基づいた考え方だ。「人間は本来、成長したいという意欲を持っており、仕事にやりがいを求めている。魅力的な目標や、自分で考える責任(やりがい)を与えられれば、命令されなくても自ら進んで工夫し、創造的に働く」と考える。
学園祭の準備などで、生徒たちが誰に言われるでもなく夢中になって作業する状態は、Y理論的な状態に近い。
さて、安藤氏に話を戻そう。安藤氏が社員に向けた「首根っこをおさえてしごけ」「危機感を持て」といった言葉は、明らかに「X理論」に基づいている。組織の人間は放っておくと怠けるから、厳しく管理し、プレッシャーをかけるべきだ、という思想が透けて見える。







