「反トランプ」の落とし穴、真に対峙すべき相手は誰か要らないのは「キング(王)」ではなく、寡頭制を動かす「バロン(領主)たち」のほう? Photo: AP/AFLO

なぜ世界はこんなにも不安定なのでしょうか。『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』の著者、バルファキス元ギリシャ財務相が、富と権力を囲い込む「王」と「領主たち」によって成り立つ現代の寡頭制(少数者支配)の問題を解き明かします。

 フランス、英国、米国、さらにはドイツですら、年金・福祉・軍事費といった膨張する負担によって財政危機に直面している。政治家たちは、これらを削減することも、増税で賄うことも恐れて踏み込めない。

 そこで「民主主義では財政規律を保てない。なぜならば民衆が身の丈に合った生活をしようとしないからだ」と結論づける人もいる。しかし、別の説明があり得る。私たちが直面する財政問題の原因は、そもそも私たちが民主主義ではなく、定期的な選挙を挟みながら続く寡頭支配の下に生きているからだ。

 自由で公正な選挙は、時間と金銭的余裕がある人々に公職に就く機会を与える。しかし、それは権力を獲得することとはまったく別だ。たとえ当選しても、中央銀行の独立性の前では金融政策を動かせず、疲弊した財政と債券自警団への恐れのせいで、財政政策でもほとんど身動きが取れない。自らの力が及ばぬ力学をただ見ているだけになるのであれば、優秀な人々が政治家になることを避けるのも当然だろう。

 一方、強奪的な力は、別の場所で行使されている。最新の財政危機の震源地フランスでは、富裕上位500家族の富が国民所得に占める割合は1996年の6%から2024年には42%へと跳ね上がった。ドイツや、社会民主主義の理想郷と見なされるノルディック諸国でも類似した事態が起こっている。

 この富の急増を、生産性向上や卓越した起業家精神の成果だと説明することは、ほぼ不可能である。富の集中を加速させた主因は、実質時給の長期的な低下に加え、多くの人々がプレカリティ(雇用・生活面での不安定な状態)に陥ったこと、そして大企業が国家から価値を吸い上げることを可能にし、その結果として公共サービスを劣化させ将来の政府負担を膨らませる新たな仕組みが広がったこと、さらに富裕層にとって租税回避の機会が一段と拡大したことである。

 資本所有者は、1950〜60年代には想像もつかなかったほど効率的に、労働者と国家資源から利益を吸い上げながらも、社会の不満を抑えて自らの財産権を守るための保険料である税負担さえ惜しむようになっている。加えて国家は、彼らの投機が失敗すれば救済に走り、悪化する一方の民営化サービスに法外なお金を支払い続け、かつての公益事業カルテルを温存している。その結果、物価高騰によって一般市民の可処分所得はさらに奪われている。

 支持を失い続ける中で、政権与党の政治家たちは、ますます困窮する国家に財源の裏付けのない福祉や年金負担を積み増すことでしのごうとする。やがて債券市場が癇癪(かんしゃく)を起こすと、ニュースメディアは「債務危機が迫る」と大騒ぎし、国際通貨基金(IMF)や海外債権者に抗議して暴徒化するギリシャの古い映像まで持ち出してくる。そして決まり文句のように叫ぶ。「みんなでベルトを締めろ。ギリシャの二の舞になる前に」。

 だが、彼らが言う「みんな」に、実際は全員は含まれていない。超富裕層への増税に倫理的な正当性があることに公然と異を唱える者はほとんどいないが、いざ富裕税の議論が持ち上がると、オリガルヒ(寡頭支配層)は決まってこう言い放つ。「そんなことをすれば、ドバイかモナコ、いや火星にでも逃げるぞ」と。そして、これが悪い事態になるのは自明だと見なし、政治を担う者たちはたじろいで、富裕税の議論を退けてしまう。