三番目は、男性の行動を説明する「物語」をつくることです。「彼が今夜これほど苛立っているのは、仕事でひどく落ち込む出来事があったからだ。だからミディアムレアがどんなものかをよくわかっていないウェイターを非難しているのだ」と想像するのです。

 この3つのアプローチは、組み合わせることもできます。たとえば、「隣のテーブルの男はえらそうだし、嫌な感じだ。だけど、昼間に何かがあったのかもしれないし、同席している相手に何かをアピールしようとしているのかもしれない」という具合です。

 このように見知らぬ人を解釈しようとする方法を見れば、あなたがパーソナリティをどのようにとらえているかについても多くを学ぶことができます。

人は他者の振る舞いを
「パーソナリティ」で捉えがち

 見知らぬ他人を解釈する場合、相手の「特性」「パーソナル・プロジェクト」「物語」などは、あくまでもこちらの想像であり、事実に基づいてはいません。

 人は、「他者」の振る舞いの原因を「パーソナリティ」で、「自ら」の振る舞いの原因を「状況」でとらえる傾向があります。

 しかしこの場合は、今見えている場面でしか男性のことを判断できません。彼のレストランでの振る舞いは普段とは違う可能性もあるので、嫌な奴だと決めつけるのは公平ではないといえるでしょう。

 また、彼が上司を感心させようとしているのか、あるいは単にイライラしていてウェイターに過剰に反応しているのかを見分けるための確かな情報もありません。

 あなたは「直感的な推察」によって、目に留まった誰かがどのような人間かを説明しようとしたにすぎないのです。

「見慣れた他人」より「まったくの他人」
のほうが話しかけやすい理由とは

 このような直感はさまざまな局面で見られます。

 心理学者のスタンレー・ミルグラムは、私たちはわずかな情報に基づいて見知らぬ人のことを推察し、物語をつくりあげていると述べています。

 たとえば私たちは、「見慣れた他人」に頻繁に遭遇します。「見慣れた他人」とは、毎朝のエレベーターの中や、スーパーでの買い物時、子どもを学校に送るときなどによく見かける他人を指します。

 このような人たちとの関係は曖昧です。互いに存在に気づきながらも、他人同士でいようという作用が働いている、“凍結”された関係です。

 私たちは、このような見慣れた他人について手の込んだ物語を想像することがあります。