「彼は毎朝慌ただしくしている。おそらく妻とは離婚していて、職業は弁護士。昨日NFLのジャイアンツが負けたので不機嫌だ」「彼女は愛らしくて思慮深い女性だ。パリに住みたいのだが、余命いくばくもないお姉さんがいるために自分の幸せを犠牲にしている」というふうに。もちろん、あなたが物語を紡いでいるのと同じように、相手もあなたの物語をつくっているはずです。

 興味深いことに、私たちはこうした凍結された関係が“解凍”されるのを拒むことがあります。たとえば誰かに時間を尋ねるとき、あなたなら「見慣れた他人」と「まったくの他人」のどちらに近づこうとしますか?おそらく、「まったくの他人」に近づこうとするのではないでしょうか。

なぜ私たちは「見慣れた他人」を
避けようとするのか

 私たちは、普段とはまったく違う状況で会わない限り、「見慣れた他人」を避けようとするのです。それでも、なんらかの拍子で凍結した関係が解凍されることがあります。そのとき私たちは、自分たちの仮説の正誤に気づきます。直感が当たっていたと嬉しくなることもあれば、見当違いな推察をしていたことにがっかりすることもあります。

 たとえば、先ほどの男性はジャイアンツではなくグリーンベイのファンで、幸せな結婚生活を送っていて、生まれたばかりの双子の世話で疲れているだけだったとか、先ほどの女性は、それほど愛らしくも思慮深くもなく、パリではなくイリノイ州に移住することを夢見ていて、お姉さんもいないとか。

書影『ハーバードの心理学講義』(ブライアン・R・リトル著、児島修訳 だいわ文庫、大和書房)『ハーバードの心理学講義』(ブライアン・R・リトル著、児島修訳 だいわ文庫、大和書房)

 このように、私たちは直感に基づいて相手にさまざまなパーソナリティ特性を割り当て、人生を推察し、物語を紡いでいます。この仕組みを理解することは、パーソナリティや幸福だけでなく自分自身を深く知ることに役立ちます。

 意外にも、他者をどのように解釈するかは、自分の幸福に関係しています。

 人は、他者を解釈する枠組みが多くなるほど世の中に適応しやすくなり、逆に枠組みが少ないと、変化していく状況にうまく対処できず、トラブルを乗り越えることが困難になってしまいます。

 前述したように、あなたが人をどう見ているかは、世界を理解する枠組みにもなれば、あなた自身を拘束する足枷にもなります。それにとらわれてしまえば、人生を思い通りに歩めなくなってしまうのです。