しかし、そのように捉えるのは誤りだ。アルキメデスもポアンカレも、解や発見にたどり着くまでに、問題をさんざん考え抜いていた。考え抜いてきた時間があったから、答えに至ったのだ。

入試程度の数学なら
才能がなくても解ける

 僕は数学者ではないから推測で述べるしかないのだが、たとえば有名な「フェルマーの最終定理」のような世紀の難問であれば、解けるか解けないかには才能の有無がきっと関係するのではないかと思う。小学生の算数であっても、算数オリンピックでメダルを争うような最高峰のレベルでは、確かに「センス」は必要だ。

 技術の面では互いに甲乙つけがたい、最高の選手が集まるプロ野球の世界でも、MVPを獲得できるのはわずか一握りにすぎない。MVPになれる選手となれない選手、その間にあって差をつくっているのは、おそらく技術だけではない。別の何かがきっとある。それと同じことではないかと思う。

 しかし、入試や学校のテストなどで出題される問題のレベルで、生まれ持った特殊なセンスが必要になることは(ゼロとは言わないが)僕の経験上ほとんどない。一定の知識を積み、考える道筋を探す訓練ができていて、考え抜く力があれば、どんな子も難問を解けるようになる。

 筋道立てて考える力は誰にでも備わっているものだ。試しに、なんでもいいから子どもに「なぞなぞ」を出してみるといい。子どもなりにあれこれ頭をひねって考えるだろう。もしかしたら正解するかもしれない。なぜそう答えたのかと聞けば、「〇〇だから」と理由を披露してくれるはずだ。

 そんなふうに問いに挑み、考え、答えているとき、子どもの頭のなかでは(スケールこそ小さいが)きちんと論理的思考が働いている。