多摩川流域は東京都の西端を越えて山梨県側まで広がっており(丹波山村全域と小菅村の大半、甲州市の北部)、考えてみれば中途半端なところに都県境、つまり武蔵と甲府の国境が通っている。流域の途中で国が変わっているのだから、かつては国境がもっと東寄り――ここ「境」の集落のあたりであったとしても不思議ではない。

放置されて半世紀以上経った
鉄橋から部品が落ちてくることも

 敷設してそれほど経ってなさそうな「福祉モノレール」の線路が段々畑の上の方へ続いている。

 このモノレールは高齢者や障がい者が自力で車道まで歩いて出るのが困難な場合に、住民の申請により奥多摩町が設置するもので、昨今では各地で見られるようになってきた。

 その上を高い鉄橋(第四境橋梁)が跨いでいるが、これも小河内線のものだ。先ほどの白髭トンネル上のものと異なるのはガーダー橋であることで、緑色に塗られたそのガーダー(橋桁)はそれほど古びて見えない。やはりこれも西武鉄道が塗り替えたのだろうか。

四境橋梁第四境橋梁。プレートガーダーが残る。福祉モノレールの新しい線路が下を走っていた(同書より転載)。

 60代後半とお見受けする地元のおじさんに話を聞くと、小河内ダムの建設工事に伴ってこの鉄橋を貨物列車が走っていたことを記憶されていて、急勾配を上っていくので煙がすごく、こちらの集落の方までもくもくと下りてきたそうだ。

 なるほど平均25パーミルを超える急勾配で、しかも2つのトンネルに挟まれた区間で煙が立たないはずがない。

 放置されてすでに半世紀以上を経ているのだが、畑を見回っていると、たまに鉄橋の部品と思われるものが落ちていたりするという。橋桁が落ちなくても、部品が頭の上に落ちてきたら心配だろう。

『ぶらり鉄道廃線跡を歩く』書影『ぶらり鉄道廃線跡を歩く』(今尾恵介、PHP研究所)