旧青梅街道なので、馬頭観音や石仏などが目につく。馬の水吞み場と石の水槽は古そうなもので、「東京府馬匹畜産組合連合会」と彫られている。
調べてみるとこの組合は、羽田競馬場や洲崎競馬場(現江東区東陽)、八王子競馬場など戦前の競馬の主催者でもあったらしい。いずれにせよ、馬が大切な交通機関であった時代の話である。
甲州へ抜ける主要街道であったこともあり、途中には商店の廃墟もいくつか残っていた。
青梅街道沿いの商店。同書より転載
70年前に施工された橋桁は
廃線マニアからすれば新しいほう
「奥多摩むかし道」こと青梅街道の旧道は、新国道411号につかず離れず並行しているが、あちらがトンネルに入るたびにこちらは迂回するので、累計の距離としてはだいぶ差がありそうだ。
梅久保の集落を過ぎたあたりで、国道の白髭トンネルの上に高い橋脚をもった廃鉄橋が見えた。
小河内線のコンクリート橋。国道の白髭トンネルから見上げる(同書より転載)。
コンクリートの橋桁も撤去されずに残っていて、列車が走ってきてもおかしくないほど「新品」に見える。それもそのはずで、戦後の昭和27(1952)年竣工というのは、廃線としては新しい部類で、ちゃんと使っていればまだまだ耐用年数に余裕はある。
間もなく「境」の集落に差しかかった。
このあたりの地名は広大な大字境に属しているのだが、そのうち小字の境がここである。地名の由来としては「小河内と氷川の境」、または「かつて武蔵と甲斐の境だった」という説もあるという。







