図4-2を見ると、京都盆地の北端の丹波山地では地表に露出している基盤岩は、北山から南へ行くにしたがって深くなり、宇治川を渡って巨椋池干拓地のあたりでは基盤岩の上面は地表から約800メートルの深さになっています。

 しかも宇治川の真下あたりで基盤岩に段差があり、その上の堆積層の地層にずれがあることから、地下に活断層が隠れていることが明らかになりました。

 私はそれを「宇治川断層」と呼ぶことにしました。

豊かな地下水をもとに
発展した京都の文化

 図0-12は、京都盆地を取り囲むように存在する活断層の分布を示しています。

図表:京都盆地周辺の活断層同書より転載
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 これらの活断層のもたらす上下運動によって分厚い堆積層が発達しました。また、隆起する山地が盆地を囲む構造ができて、城壁のない都が京都盆地に自然に誕生したと考えることができます。

 京の都には地下水を活用して茶の湯が生まれ、茶事を行うために懐石料理が発達し、湯葉や豆腐が作られ、料理を活かす酒が醸造されました。さらに都をどりにつながる京舞などを中心として花街が誕生し、発展しました。

 都が置かれる前、京都盆地には大陸から移住した秦氏がいました。秦氏によって701年には酒を司る松尾大社が建立され、711年には稲を司る稲荷大社が建立されました。それらのもと、京都盆地に生まれ育った文化を総称して、私は「変動帯の文化」と呼ぶことにしました。

活断層からの湧き水で
おいしいウイスキーが生まれる

 サントリー山崎蒸留所は有馬―高槻構造線活断層の上にあって、活断層の破砕帯からの湧き水を使っています。昔、ウイスキーを製造するために各地の水を英国に送って調べてもらった結果、最適と言われたのがこの地の水であったと元会長の鳥井信一郎さんから聞きました。