急成長組織が「イエスマン」で固まると、なぜ一瞬で崩壊するのか?
悩んだら歴史に相談せよ】好評を博した『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)の著者で、歴史に精通した経営コンサルタントが、今度は舞台を世界へと広げた。新刊リーダーは世界史に学べ(ダイヤモンド社)では、チャーチル、ナポレオン、ガンディー、孔明、ダ・ヴィンチなど、世界史に名を刻む35人の言葉を手がかりに、現代のビジネスリーダーが身につけるべき「決断力」「洞察力」「育成力」「人間力」「健康力」と5つの力を磨く方法を解説。監修は、世界史研究の第一人者である東京大学・羽田 正名誉教授。最新の「グローバル・ヒストリー」の視点を踏まえ、従来の枠にとらわれないリーダー像を提示する。どのエピソードも数分で読める構成ながら、「正論が通じない相手への対応法」「部下の才能を見抜き、育てる術」「孤立したときに持つべき覚悟」など、現場で直面する課題に直結する解決策が満載。まるで歴史上の偉人たちが直接語りかけてくるかのような実用性と説得力にあふれた“リーダーのための知恵の宝庫だ。

【世界史の失敗学】「優秀な他人」より「凡庸な身内」…ナポレオンの帝国を滅ぼした“人事の失敗”Photo: Adobe Stock

絶頂期のナポレオンが選んだ
「一族支配」という統治モデル

ナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)は、フランスの軍人であり、第一帝政の皇帝(ナポレオン1世)。イタリア半島の西に位置するフランス領コルシカ島で、地方貴族の家に生まれる。パリの陸軍士官学校を卒業後、軍人としての道を歩み始める。1789年にフランス革命が勃発すると、混乱のなかで昇進や失脚をくり返しながらも、王党派の鎮圧やイタリア遠征で戦功を上げ、次第に頭角を現していく。イギリスを中心とする対フランス大同盟が結成されると、クーデターを起こして第一統領となり実権を掌握。外国との戦争で次々と勝利を収める一方、内政面では法整備や産業振興などの政策を推進し、これらの功績により皇帝に即位する。その後も戦争を続け、ヨーロッパ大陸の大部分を勢力下に置くが、イギリスには敗北を喫する。このためイギリスの弱体化を狙って「大陸封鎖令」を発令するが、それに従わなかったロシアへの1812年の遠征で大敗。この敗北を契機に対フランス同盟軍が結成され、フランスへの進軍を許した結果、ナポレオン1世は1814年に退位を余儀なくされる。退位後、地中海のエルバ島に流されたが、再びパリに戻り皇帝に復位。しかし、イギリスとプロイセン(現在のドイツ)の連合軍にワーテルローの戦いで敗北(「百日天下」)し、その後は大西洋の孤島セントヘレナ島に流される。ここで激動の人生を終えることとなる。

覇権の確立が解き放った「血族統治」への転換

絶頂期に入ると、ナポレオンの統治は新たな段階へと進みます。それが、自らの一族を各地の王位に就ける政策です。

もともとナポレオンは、皇帝即位当初こそ「身内びいき」を避けていました。しかし、勢力が盤石になった1806年以降、その抑制は徐々に緩んでいきます。

欧州各地の玉座を埋め尽くすボナパルトの影

兄ジョゼフ:ナポリ王→スペイン王
弟ルイ:オランダ王
弟ジェローム:ヴェストファーレン王
義弟ミュラ:ナポリ王(後任)

このように、ヨーロッパ各地にナポレオン家のネットワークが形成されていきました。その意図は明白です。忠誠心が確実な一族を各地に配置し、支配の安定を図るという政治的・現実的な対応でした。

革命の理想を凌駕する冷徹なリアリズム

フランス革命は、貴族制の廃止と特権の否定を掲げて始まりました。その理念から見れば、ナポレオンの「一族による王位独占」は逆行にも映るでしょう。

しかし、彼にとって、広大な帝国を効率よく治める現実的手段として、一族支配は有効だったのです。

【解説】組織急拡大期の「人事のジレンマ」

ナポレオンが直面したのは、あまりに早く領土(市場)が広がりすぎたため、信頼して任せられる人材が枯渇したという課題です。ビジネスでも、急成長するベンチャー企業が、重要なポストを創業者の親族や古くからの友人で固めるケースによく似ています。

「能力」よりも「あうんの呼吸(忠誠心)」を優先することで、意思決定のスピードとコントロールを維持しようとする、ある種の防衛本能といえるでしょう。

「同質性」が招く現場の硬直化

しかし、この戦略は諸刃の剣です。トップのイエスマン(血族)ばかりが各国のリーダー(支社長)となることで、「現場の現実に即した柔軟な判断」が阻害されます。

実際に、現地の事情よりもナポレオンの顔色をうかがう統治は、各地で民衆の反発を招きました。本社(パリ)の論理を一方的に押し付ける経営は、多様な市場(欧州各地)への適応力を失わせ、組織全体の硬直化を招くのです。

属人性を超えたシステム構築へ

ナポレオンの失敗は、巨大化した組織を動かすエンジンを、最後まで「自分と自分の分身(血族)」という属人的なリソースに依存し続けた点にあります。

カリスマの威光が通じない規模になったとき、真に必要なのは血のつながりではなく、理念を共有し自律的に動ける「他人のプロフェッショナル」を育てるシステムでした。血族統治は、組織が次のステージへ脱皮する機会を逸した瞬間でもあったのです。

※本稿は『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。