シンガポール国立大学(NUS)リー・クアンユー公共政策大学院の「アジア地政学プログラム」は、日本や東南アジアで活躍するビジネスリーダーや官僚などが多数参加する超人気講座。同講座を主宰する田村耕太郎氏の最新刊、君はなぜ学ばないのか?』(ダイヤモンド社)は、その人気講座のエッセンスと精神を凝縮した一冊。私たちは今、世界が大きく変わろうとする歴史的な大転換点に直面しています。激変の時代を生き抜くために不可欠な「学び」とは何か? 本連載では、この激変の時代を楽しく幸せにたくましく生き抜くためのマインドセットと、具体的な学びの内容について、同書から抜粋・編集してお届けします。

日米開戦を避ける選択肢は、あったのか?Photo: Adobe Stock

戦争を回避できる政治家はいなかった

 それでは、次に先の太平洋戦争を例に考えてみよう。

 日米開戦を避ける選択肢は、あったのか?

 まず、日本側とアメリカ側の双方の立場で、当時の世界情勢を織り込みながら検討してみよう。

 日米双方にとって、1941年4月から50回を超えた日米協議をまとめて、当時の近衞首相とF・D・ルーズベルト大統領とのトップ会談を実現させれば、チャンスはあったかもしれない。

 しかし、事実上の最後通牒であったハル・ノートの内容を、日本側は受け入れられただろうか?

 ハル・ノートは、
 ・日本軍の中国からの全面撤兵
 ・三国同盟の否認
 ・満州事変以前の状態への復帰

 など、当時の大日本帝国にとっては、とても受け入れがたい苛烈極まる内容だった。

 これを受け入れたら、日本の対外行動はすべて否定されることになり、大本営としては面目丸つぶれである。

 このハル・ノートの提示を受けて、軍や政府の主戦論者は勢いづいた。

 日米交渉継続派だった政府高官たちも、ハル・ノートの要求を受け入れることは、「国家的自殺に等しい」(東郷外相)と語っていた。

 この内容を受け入れる形で主戦論者をいさめて、対米交渉を進められる政治力を持った政治家は、当時の日本では皆無だった。

ハル・ノートの内容は、
どうして強硬なものになったのか?

 では、なぜアメリカからのハル・ノートが、このような強硬な内容になったのだろうか?

 その背景には、複雑な国際情勢がある。もちろん、アメリカが基本路線として、満州事変後の日本の領土拡大政策に否定的であったことがある。

 しかし、多分それだけではない。

 対日戦争でアメリカからの支援を受けたい蒋介石や、対独戦争で苦戦していたイギリスのチャーチル首相が、アメリカの第二次世界大戦参戦を望んでいたことがある。

 彼らがアメリカに、日本に対して強硬に出るように仕組んでいた可能性がある。

確証バイアスを打破するためには、
ロールプレイが有効

 大西洋と太平洋という大洋に守られた地政学的優位性を持つ海洋国家のアメリカから見れば、たとえ、欧州とアジアが戦場になっていた第二次世界大戦に参戦したとしても、本土が攻撃を受けることは、考えにくかった。

 と同時にアメリカのGDPは、第二次世界大戦を通じて88%も増加し、第二次世界大戦参戦後、アメリカの失業率は完全雇用と言っていい1・2%まで低下した。

 もちろん、ルーズベルト大統領が、経済のためだけに戦争をするわけはない。

 いくら当時のアメリカ政府の中で、その後、起こるであろう戦争の経済効果を理解している者がいたとしても、欧州や中国で苦戦していたチャーチルや蒋介石が、自身の生存のためにアメリカの参戦を望んでも、彼らの仕掛けだけで日米開戦となったわけではない。

 ただ、今から振り返れば、欧州やアジア各国や北アフリカが戦火に包まれる中で、本土に被害をもたらすことなく、大戦のもたらす経済機会を、純粋に最も追求しやすい環境にあったのがアメリカだったのだ。

 参戦前までは、アメリカ国民の間では厭戦気分が漂っていた。

 だが、真珠湾攻撃で一気にアメリカ国民の空気が変わった。

 そして、それは欧州や中国での戦況を激変させることになった。

 私は、主語のないいかなる謀略論にも与しない。

 しかし、様々なファクターが影響を与え合って、結果としては、策略をめぐらせていたいくつかの主体に、都合のいい大きな出来事が起こることはある。

 当時の国際情勢を鑑みたうえで、日米双方のトップや政府関係者のほか、それに影響を与えていたプレイヤーになりきって、ロールプレイしてみると、日米開戦は避けられなかったと言えるだろう。

 戦争や革命などの大きなイベントを評価するときほど、主客双方の主要プレイヤーになりきって、ロールプレイをしてみることは、頭のトレーニングとしてとても有効である。

 これは、ビジネスの意思決定をするときも同じだ。

 確証バイアス(自分に都合のよい情報ばかりを集めること)に打ち勝つのに最も有効な手段は、ロールプレイなのである。

(本稿は君はなぜ学ばないのか?の一部を抜粋・編集したものです)

田村耕太郎(たむら・こうたろう)
シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院 兼任教授、カリフォルニア大学サンディエゴ校グローバル・リーダーシップ・インスティテュート フェロー、一橋ビジネススクール 客員教授(2022~2026年)。元参議院議員。早稲田大学卒業後、慶應義塾大学大学院(MBA)、デューク大学法律大学院、イェール大学大学院修了。オックスフォード大学AMPおよび東京大学EMP修了。山一證券にてM&A仲介業務に従事。米国留学を経て大阪日日新聞社社長。2002年に初当選し、2010年まで参議院議員。第一次安倍内閣で内閣府大臣政務官(経済・財政、金融、再チャレンジ、地方分権)を務めた。
2010年イェール大学フェロー、2011年ハーバード大学リサーチアソシエイト、世界で最も多くのノーベル賞受賞者(29名)を輩出したシンクタンク「ランド研究所」で当時唯一の日本人研究員となる。2012年、日本人政治家で初めてハーバードビジネススクールのケース(事例)の主人公となる。ミルケン・インスティテュート 前アジアフェロー。
2014年より、シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院兼任教授としてビジネスパーソン向け「アジア地政学プログラム」を運営し、25期にわたり600名を超えるビジネスリーダーたちが修了。2022年よりカリフォルニア大学サンディエゴ校においても「アメリカ地政学プログラム」を主宰。
CNBCコメンテーター、世界最大のインド系インターナショナルスクールGIISのアドバイザリー・ボードメンバー。米国、シンガポール、イスラエル、アフリカのベンチャーキャピタルのリミテッド・パートナーを務める。OpenAI、Scale AI、SpaceX、Neuralink等、70社以上の世界のテクノロジースタートアップに投資する個人投資家でもある。シリーズ累計91万部突破のベストセラー『頭に来てもアホとは戦うな!』など著書多数。