量子コンピュータが私たちの未来を変える日は実はすぐそこまで来ている。
そんな今だからこそ、量子コンピュータについて知ることには大きな意味がある。単なる専門技術ではなく、これからの世界を理解し、自らの立場でどう関わるかを考えるための「新しい教養」だ。
『教養としての量子コンピュータ』では、最前線で研究を牽引する大阪大学教授の藤井啓祐氏が、物理学、情報科学、ビジネスの視点から、量子コンピュータをわかりやすく、かつ面白く伝えている。今回は日本初のノーベル物理学受賞者・湯川秀樹についての特別な書き下ろしをお届けする(ダイヤモンド社書籍編集局)。

【日本初のノーベル物理学賞】天才・湯川秀樹が残した“学びの本質がわかる一言”とは?Photo: Adobe Stock

湯川秀樹の曾孫弟子?!

今年は、日本から2名のノーベル賞受賞者が選ばれ、基礎研究の重要性についてもニュースでよく目にするようになった。

ノーベル賞といえば、日本初のノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士なしには語れない。
先日、湯川博士の名を冠した講演会に登壇することになり、改めて自分と湯川博士の接点について考えてみた。

すると、意外な縁が浮かび上がってきた。

私が学生時代に所属していたのは、工学部の中ではやや異色とも言える理論物理学の研究室である。
当時、量子コンピュータを専門とする研究室はまだ存在せず、量子力学を深く学ぶには理論物理の道を選ぶしかなかった。

その研究室の由来を辿ると、原子力研究の黎明期に行き着く。

工学においても量子力学の基礎教育を徹底すべきだという考えのもと、湯川秀樹と交流のあった荒木源太郎が、日本で初めて原子力を中心に据えた原子核工学教室を立ち上げ、その中に理論研究室を設けたのである。

その後も湯川にゆかりのある研究者が教員として連なり、系譜が受け継がれてきた。

そう考えると、私は学問的には湯川秀樹の「曾孫弟子」にあたることになる。

素粒子物理学の礎

湯川秀樹といえば、1935年に発表された中間子理論があまりにも有名だ。

この理論は、原子核を結びつける力の正体を初めて理論的に説明し、後の素粒子物理学の礎を築いた。

一方で興味深いことに、同じ1935年、量子力学の解釈に根源的な問いを突きつけるとともに、量子特有の強い相関であり量子情報処理の資源とされる「量子もつれ」の源流となった論文が発表されている。

アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンによる、いわゆるEPR論文である。

EPR論文は、「実在とは何か」という定義を出発点に、量子力学は実在を完全には記述していないのではないか、という問題提起を行った。

湯川はこの論文を、「上記の実在の定義を認める以上、量子力学は実在の完全な記述でないと結論せざるを得ない。これがよく知られたアインシュタインらの反理である」と冷静に紹介している。

しかし同時に、1947年から48年にかけた連載では、「量子力学を実在の不完全な記述とみなし、その背景にあるいわゆる『かくされたパラメータ』の間の因果必然的な関係を予想することは原理的に不可能」と述べ、安易な古典的補完を退けている。

量子を「使う」時代ならではの問い

さらに1943年の記事では、シュレーディンガーの猫に代表される重ね合わせ状態のパラドックスについて解説し、量子力学の奇妙さと向き合っている。

その中で湯川は、「今日の物理学、特に量子論の根本思想を、誰にでもわかるように説明することは、なかなか容易でないのである」と述べ、たとえ話がかえって誤解を生む危険すらあると指摘する。

そして、「古典論が量子論の中に特別の場合として含まれ得るにもかかわらず、量子論の形式に物理的な意味付けをするには古典論の助けを借りねばならぬ羽目に陥る」と、直感と理論の間で揺れる苦悩を率直に吐露している。

私自身も『教養としての量子コンピュータ』を執筆する中で、量子の本質を損なわずに平易な言葉で伝えることの難しさに何度も立ち止まり、湯川博士の言葉に思わず頷いてしまう場面が少なくなかった。

量子力学は難解で、どこか近寄りがたい学問だと思われがちである。

しかし、その難しさの正体は、自然が人間の常識に合わせてくれないという一点に尽きる。
湯川秀樹は、その事実を誰よりも早く、そして深く理解していた物理学者の一人だった。

中間子理論という華々しい成果の背後で、量子論の解釈や限界について粘り強く考え続け、安易な説明や分かったつもりになることを戒めた。

その姿勢は、量子コンピュータという新しい技術が現実のものとなりつつある現在、改めて重要な意味を持つ。

量子を「使う」時代だからこそ、量子をどう理解すべきかが問われている。

(本稿は『教養としての量子コンピュータ』の著者が特別に書き下ろしたものです。)