「来週、10%の人間がクビになるらしい」。リーマンショック直後のゴールドマン・サックス。毎日誰かが去り、原因不明の体調不良で心身ともにボロボロになりそうだった田中渓さんを救ったのは、ある上司の「意外な振る舞い」でした。『なぜ、あなたのチームは疲れているのか?』(ダイヤモンド社)の著者・櫻本真里さんは、田中渓さんと同じ環境のなかで自分のメンタルと向き合った人物。そのおふたりに、「心理的リソース」というキーワードをもとに、上司の「あるべき姿」について語り合っていただきました。
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「いつクビになるかわからない」という状況を生きる
櫻本真理さん(以下、櫻本) 私は、人の心を“殺す”のは労働時間ではないと思うんです。もちろん、しっかり休養や睡眠をとることはすごく大事なことですが、「これだけ頑張れば、きっと成果があがる」「いい仕事をすれば、この人が喜んでくれる」「いまはしんどいけど、きっと成長できる」と信じられるときには、人がメンタル不調に陥ることはないと思うんです。
むしろ、そこまで労働負荷が高くなくても、どんな成果が出るのかもわからないし、褒められるわけでもなく、将来に対する期待ももてないという状況のなかで、人は鬱っぽくなっていくんです。
実際、正直に告白すると、リーマンショックが起きて、ゴールドマン・サックスもたいへんな状況になって、どんなに頑張って働いても前向きな展望を描くことができず、ただただネガティブな状況のなかで“穴埋め”のような仕事ばかりをしていると思ったときに、私はメンタルを崩したことがあるんです。
田中渓さん(以下、田中) あの頃は、僕も苦しかったですね。あの時代を経験した金融マンは共感してもらえると思いますが、毎日誰かがリストラされていきましたから、「首を洗って待っている」という表現がぴったりな状態に置かれていました。会社のなかではいつも「来週の金曜日がXデイらしいよ」とか「また10%の人がクビになる」といった噂話が飛び交っていて、毎日怯えながら過ごしていましたね。
そして、そのリストラの波を乗り越えたあとは、人がものすごく少なくなってしまったので、中間管理職としての職責を与えられながら、自分の部下が一人もいない状態で7年も過ごすという鬱々とした日々も長く続きました。
田中 渓(たなか・けい)1982年横浜出身。上智大学理工学部物理学科卒業。学科首席として同大学院に進学。ゴールドマン・サックス証券株式会社に2007年に新卒入社。同社でマネージング・ディレクターに就任、投資部門の日本共同統括を務め、2024年に同社を退社。現在は、数千億を運用するより少数精鋭の投資会社にて不動産投資責任者を務める。私生活では365日朝3時45分に起床する生活を6年以上続け、毎日25kmランニング、60kmの自転車、7000mのスイムのいずれかをこなし、強靱な肉体と精神力、一生の財産にもなる「習慣化」の力を手に入れる。著書に、『億までの人 億からの人』(徳間書店)。
櫻本 ありましたね。未来に対する希望を持つことが難しく、心理的リソースが枯渇しやすい状況でしたね…。
「未知」から不安を見出すか、可能性を見出すか
田中 ええ。ただ、ここでも上司のあり方で、僕の心境は大きく違ってくるんです。
あのときのように、「将来、何が起きるかわからない」という未知の状態に置かれると、人間は基本的に不安や恐怖を感じるものですが、「もう俺にもどうなるかわからない。なるようにしかならないよ」などと、その不安や恐怖を増幅させる上司のもとでは心理的リソースはすり減るばかりです。
一方で、未知という状態の中にポジティブなものを見出そうとする上司もいらっしゃいました。その方は、「これだけぐちゃぐちゃになっちゃった今だからこそ、いかようにもできる可能性があるということだ。俺がなんとかするから、転職活動はせずに、もうちょっと待っといてくれ」と言ってくださったんです。
いま振り返っても、あのポジティブな上司がいてくれたから、リーマンショック後の苦しい環境のなか、なんとか心理的リソースを枯渇させることなく、持ちこたえることができたと思いますね。
櫻本 たしかに、未知の状態から不安を引き出すこともできるし、可能性を引き出すこともできますよね。そして、上司がどっちのスタンスでいるかは、部下の心理的リソースに大きく影響を与えるでしょうね。
櫻本真理(さくらもと・まり)株式会社コーチェット 代表取締役
2005年に京都大学教育学部を卒業後、モルガン・スタンレー証券、ゴールドマン・サックス証券(株式アナリスト)を経て、2014年にオンラインカウンセリングサービスを提供する株式会社cotree、2020年にリーダー向けメンタルヘルスとチームマネジメント力トレーニングを提供する株式会社コーチェットを設立。2022年日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー受賞。文部科学省アントレプレナーシップ推進大使。経営する会社を通じて10万人以上にカウンセリング・コーチング・トレーニングを提供し、270社以上のチームづくりに携わってきた。エグゼクティブコーチ、システムコーチ(ORSCC)。自身の経営経験から生まれる視点と、カウンセリング/コーチング両面でのアプローチが強み。
田中 あと、こんなこともありました。先ほども言ったように、僕は7年間も部下なしの管理職をやっていたんですが、あの頃は本当にきつかったんです。
というのは、当時の僕は「すごく便利な下っ端」だったからです。それなりの経験と知識を備えていて管理職に昇格しているけれど、組織のなかではいちばんの下っ端ということで、とにかく使い勝手がよくて、すごく便利だったんでしょうね。
だからこそ、「いなくなったら困る」と思われていたという側面もあったとは思いますが、僕はどんなにしんどいときも淡々と仕事をするタイプなので、「どこまで使い倒しても大丈夫」という扱いを受けていたので、だんだんと心がおかしくなる前に、体がおかしくなってきたんです。
たとえば、手の平に蕁麻疹ができて、「こんな場所にできるの?」と驚いたこともあったし、胃腸の調子が悪くなって診察を受けても原因不明だったりして、体がボロボロになってきたので、「これはさすがに無理だな」と思って、直属の上司のもうひとつ上の上司に相談しに行ったんです。
そうしたら、その方は、「お前はいつも淡々としてるから、全然気づかなかったよ」と驚かれたんですが、すぐに僕の状況を理解してくださって、それまでのやり方をガラッと変えてくれましたし、僕の部下の採用にも動いてくれるなど、具体的な対策を講じてくださいました。
もちろん、そうやって物理的なリソースを整えてくれたことも大きいんですが、それ以上に大きかったのは、その方が親身になってくれたことで、僕の心のなかにあったネガティブなものを全部取っ払ってくださったことだと思っています。そのおかげで、僕はギリギリのところで心理的リソースを回復させることができて、立ち直ることができたんです。
マイクロマネジメントをする上司の特徴
櫻本 そんなことがあったんですね……。確かに、精神的な負荷が高い状況が続くと、身体症状が先に出てくることはあります。特に「頑張り慣れている」人は、心の変化には気づきづらく、「やる気の問題だ」などと見過ごしてしまうことがありますよね。田中さんに、そんな時代があったということに驚きましたが、そのような経験をしてきて、今度、ご自分がマネジメントをする立場になったときに、どんなことに気を付けてこられましたか?
田中 ゴールドマン・サックスでの経験を踏まえて、上司には「マイクロマネジメント型」と「権限委譲型」の2種類が存在すると思っているんですが、僕は、できるだけメンバーに任せる「権限委譲型」のマネジメントを心がけています。
僕が思うに、マイクロマネジメントをする上司は不安が強いんですよね。だからこそ、部下がもっているリソースを逐一把握していたいし、部下を事細かに管理しないと不安で不安でならない。そういう上司のもとで働くのは、あまり面白いものではないですよね。
僕がゴールドマン・サックスで長くご一緒させていただいた上司はその真逆で、「こんなに任されていいんですか?」とこっちが不安になるくらい、半端のない権限委譲をしてくれました。
まぁ、悪く言えば“丸投げ”とも言えるかもしれませんが、「君に任せるから好きなようにやりなさい」と言って、部下のオーナーシップやレスポンジビリティをほぼ全面的に認めてくださった。
もちろん、その分、僕にかかるプレッシャーは強くなりますが、そのかわりに、その上司はグローバルに対する強いPR力があったので、僕が成果を出せば、それをグローバルに思いっきりアピールしてくれます。
だから、僕としても、そのような上司に仕事を任せてもらえたのがすごく嬉しかったし、「結果を出せばグローバルに評価される」という期待ももたせてもらえたから、仕事そのものはたいへんだったけれど、心理的リソースは常に満たされていました。そして、その上司に対しては敬意をもって接していましたね。
僕にはその原体験があるので、自分も同じようなマネジメント・スタイルでいこうと思って、部下や後輩たちに対しても、できる限り権限委譲をするように心がけてきました。
櫻本 なるほど、思い切った権限委譲をすることで「期待に応えたい」という願いを引き出し、部下の心理的リソースを最大化することを目指されたわけですね。
「権限委譲」と「上司の覚悟」はワンセット
田中 ただ、その塩梅が結構難しくて、単なる“丸投げ”のようになってしまうと逆効果ですし、周囲から見ても「あそこのチームは適当にやってるね」などということになりかねません。そうならないような適切な距離感を保つのは難しいところですね。
あと重要なのは、権限委譲の裏側には、その部下が失敗をしたときに上司が責任をとるという覚悟が欠かせないということです。この覚悟がないと、権限委譲はうまくいかないですよね。
櫻本 そのとおりですよね。「権限委譲」と「上司の覚悟」がワンセットじゃないと、単なる無責任な“丸投げ”になってしまいますもんね。
田中 ええ。「マイクロマネジメント型」と「権限委譲型」について、櫻本さんはどんなふうに考えていますか?



