ジョブズは16歳のとき、髪を肩まで伸ばし、ドラッグをやり、学校にもほとんど行かなかった。

 その後、オレゴン州ポートランドにある、アメリカ北西部初のリベラル・アーツ・カレッジであるリード大学への入学を決める。養父母は学費の高さ――自分たちが払える限度を超えていた――と自宅から遠いことを懸念していたが、母親によれば、「スティーブは行きたい大学はリードだけだ、リードに行けないならもうどこにも行かないと言った」という。

 養父母は彼を大学に行かせるために貯金を使い果たした。

 大学の学生部長は彼のことをこう振りかえる。

「スティーブはすばらしい探求心を持っていた。受け身で学んだ真理には関心を示さず、何でも自分で調べたがるタイプだった」

保守的な父への反骨心が
オラクル創業へとつながった

 ジョブズが養子だったように、オラクル創業者でアメリカ屈指の大富豪ラリー・エリソンも子どもの頃に養子として引き取られた。エリソンと父親の間では口論が絶えなかった。

「エリソンと父親がしたことといえば、互いにいがみ合うことだけだった」とエリソンの伝記の著者は言う。エリソンによれば、父親は長いものには巻かれろという考え方の持ち主だったという。

「父の言うことは理屈に合わなかった。父にとっては、政府の言うことがすべて正しかった。警察がだれかを逮捕したら、その人はまちがいなく罪人なのだった」

 父親にとっては、教師たちもいつも正しいというわけだ。

 父と子、リスペクトがなかったのはお互いさまだった。父親はエリソンの能力を信用しておらず、こんな調子ではろくな人生は送れないぞと息子に繰りかえし説教した。エリソンにとっては、父親の自分に対する信用のなさがかえって自分を奮起させるモチベーションになっていた。

 ふたりの不仲は友人たちの間でも周知の事実だった。友人のひとりは言う。

「エリソンは父親を憎んでいた。彼にとって家庭は居心地のよいものとはほど遠かった」

 学校の場でもさまざまな衝突があった。エリソンは教師たちにも平気で食ってかかった。意義を感じられない事柄は学ばず、やりたくないことは当たり前のようにサボった。

 学校を卒業してからも、こういう態度のせいで働く先々の会社でトラブルになった。そのうち、自分で会社を起こし、すべてを自分で取り仕切る以外に自分がやっていける道はないと思うようになった。