量子コンピュータが私たちの未来を変える日は実はすぐそこまで来ている。
そんな今だからこそ、量子コンピュータについて知ることには大きな意味がある。単なる専門技術ではなく、これからの世界を理解し、自らの立場でどう関わるかを考えるための「新しい教養」だ。
『教養としての量子コンピュータ』では、最前線で研究を牽引する大阪大学教授の藤井啓祐氏が、物理学、情報科学、ビジネスの視点から、量子コンピュータをわかりやすく、かつ面白く伝えている。今回はジョン・フォン・ノイマンについて特別な書き下ろしをお届けする(ダイヤモンド社書籍編集局)。

大天才のフォン・ノイマンはなぜ「量子コンピュータ」まであと一歩届かなかったのだろうか?Photo: Adobe Stock

あらゆる分野に貢献した男

20世紀を代表する天才研究者の一人として、ジョン・フォン・ノイマンの名は特別な輝きを放っている。

数学、物理学、経済学、そして計算機科学まで、彼が決定的な貢献を残した分野は数えきれない。

現代社会を支えるコンピュータの原型も、実は彼の思想に深く根ざしている。

フォン・ノイマンが提案したのが、プログラムとデータを同一の記憶装置に格納する「メモリー内蔵式コンピュータ」、いわゆるフォンノイマン・アーキテクチャである。

それ以前の計算機では、計算手順を配線で物理的に組み替える必要があった。

プロセッサは同じシンプルなルールで動作し、その動きを決めるプログラムをデータとして扱い、柔軟に書き換えられるという発想は、計算機を特定用途の装置から汎用的な情報処理機械へと変貌させた。
この設計思想は、80年以上を経た現在も、スマートフォンからスーパーコンピュータに至るまで生き続けている。

一方でフォン・ノイマンは、量子力学の数学的定式化においても中心的な役割を果たした人物である。

量子状態をヒルベルト空間と呼ばれる数学で定義される空間の上のベクトルとして表現し、物理量を演算子として扱う枠組みは、今日の量子情報理論や量子コンピュータ研究の基盤そのものである。

彼は、コンピュータと量子力学という二つの分野を、当時最も深く理解していた研究者の一人であった。

天才でも辿り着けなかった場所

それにもかかわらず、フォン・ノイマン自身が「量子コンピュータ」というアイデアに至らなかったのはなぜか。

1949年、フォン・ノイマンは「高速コンピュータの未来」と題する講演を行っている。

当時、高速な計算機に対しては「計算が速くなりすぎれば、プログラムを作る人間が追いつかず、無駄になるのではないか」という批判が存在した。

これに対し彼は、計算機が高速化すれば、それに見合った新しい問題が必ず現れると論じた。

そしてその代表例として、複雑な流体のシミュレーションや核反応と並び、量子力学における多体問題を挙げている。

多粒子のシュレーディンガー方程式は高次元となり、人間の直観や手計算では本質的に扱えない問題であるという洞察は、現代の量子化学や量子シミュレーション研究を先取りするものであった。

しかしフォン・ノイマンは、その困難さをより高速な「古典」コンピュータによって克服しようと考えた。

量子力学に従って振る舞う自然そのものを計算資源として利用する、という発想には踏み込まなかったのである。

この一歩は、1980年代にリチャード・ファインマンが「量子系は量子でシミュレートすべきだ」と主張するまで待たねばならなかった。

これからの時代の「量子力学」

フォン・ノイマンの時代において、量子力学は「理解すべき理論」であり、「計算に用いる手段」ではなかった。

量子コンピュータという概念は、彼の思想の自然な延長線上にありながら、当時の科学観や技術的前提からは、わずかに外れた場所にあったのである。

どれほどの天才であっても、その思考は時代背景や共有された常識から完全に自由であることはできない。

一昔前まで「決して実現しない」と言われていた量子コンピュータが、今や当たり前のように動き始めている現在を私たちは生きている。

そうであるならば、過去の天才たちが見つけることのできなかった新しい発想や原理が、これからの時代にこそ姿を現すに違いない。

(本稿は『教養としての量子コンピュータ』の著者が特別に書き下ろしたものです。)