財産は父が70代になってから結婚した後妻・恵子(仮名)さんとともに消費されたようです。恵子さんは美和子さんと同じ年齢で、介護資格を持つ家政婦でした。
証券マンの父が陥った
「老後の落とし穴」
義伸さんは、大手証券会社で定年まで働き、退職金と運用益で約1億円の金融資産を築いていました。母を亡くしてからは、元来女性が好きな性分もあり、60代半ばからさまざまな女性とお茶を楽しんだり旅行に行くなどの交際を楽しんでいました。
70代に入り、一人暮らしの寂しさと生活の不便さを感じ始めた義伸さんは、家政婦として招いた女性と旅行やデートを楽しむように。それが、後に後妻となる恵子さんでした。
美和子さんから見ると恵子さんはどこか派手でしたが、介護資格も持ち、トイレの介助なども行ってくれている様子が見られたため父の資産に目を付けているような印象は持ちませんでした。
「父の身の回りの世話をしてくれるのはありがたかったのです。ただ、今にして思えば高級な服や宝飾品を持っていたので、父に買ってもらっていたのかも。家政婦というより、愛人だったのかもしれません」(美和子さん)
そして、恵子さんが家に出入りするようになってからわずか1年後、美和子さんに何の相談もなく、義伸さんは恵子さんと入籍してしまったのです。
「生活費」の名の下に消えた
父の大切な5000万円
美和子さんは再婚後程なくして事実を知り猛反対しましたが、頑固な義伸さんは聞く耳を持ちませんでした。その後、親子間の交流は途絶えがちになり、そのまま義伸さんは病で亡くなりました。
相続の手続きに入り、美和子さんが過去数年分の預金口座の取引履歴を取り寄せたとき、事態の深刻さが明らかになりました。本来1億円近くあったはずの金融資産が、約5000万円にまで激減していたのです。
取引履歴には、毎月数十万~数百万円にわたる高額な「生活費」の引き出しや、恵子さんの口座への振り込みが大量に記録されていました。
美和子さんが恵子さんを問い詰めると、恵子さんは「私は義伸さんの妻として、身の回りすべてのお世話をしていた。入通院の費用も払ったわ。夫婦水入らずの旅行も行ったけど、何が悪いのかしら。娘さんは介護をしていないでしょう。私は確かに義伸さんからお金や高級な時計をもらったけど、『介護のお礼に』ともらった生前贈与ですよ」と主張。
もちろん、その贈与に関する書面や契約書は一切ありません。さらに、恵子さんは「私は妻なので、残った5000万円についても法定相続分(2分の1)を主張する」と譲りませんでした。







