2社会に大きな衝撃を与えた「フジテレビ事件」を題材に執筆された古賀史健氏の新刊、『集団浅慮 「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』が、経営学者・入山章栄氏からも絶賛されるなど大きな反響を呼んでいます。
「凝集性の高い組織のメンバーが、『全会一致』を強く求めることによって引き起こされる、浅はかな思考様式」と定義できる「集団浅慮」は、米国の社会心理学者アーヴィング・L・ジャニスが提唱した概念です。それでは、凝集性が高い「いい組織」が、集団浅慮にとらわれた「愚かな組織」となる分岐点はどこにあるのでしょうか?

オールドボーイズクラブPhoto: Adobe Stock

調査報告書に書かれた重要なヒント

 ジャニスの研究によれば、凝集性の高さはいつしか集団浅慮へとつながっていく。「いいチーム」だったはずの組織が、容易に「愚かなチーム」に変貌していくわけだ。その分岐点はどこにあるのだろうか?

 フジテレビ第三者委員会の調査報告書には、重要なヒントとなる言葉が記されている。引用しよう。

 当社(引用者注:フジテレビ)には、ごく抽象的な役員指名方針しか存在せず、取締役の指名は、客観的基準に基づいて厳正に行われてこなかった。指名された取締役も、役員としての資質・能力を涵養するためのトレーニングを受けてこなかった。こうした杜撰な役員指名の背景には、組織の強い同質性・閉鎖性・硬直性と、人材の多様性(ダイバーシティ)の欠如がある。年配の男性を中心とする組織運営は、「オールドボーイズクラブ」と椰楡される。現場ではセクハラを中心とするハラスメントに寛容な企業体質が形成され、女性の役員や上級管理職への登用が一向に進まず、旧態依然とした昭和的な組織風土がいまだに残存している。 調査報告書 259ページ

 同質性とオールドボーイズクラブ―。
 この言葉を突破口に、フジテレビ経営陣の集団浅慮を考えていこう。

「同質性の高い壮年男性」の衝撃

 オールドボーイズクラブとはなにか。

 もともとは英国の名門男子校(パブリック・スクール)の卒業生たちによる、学閥的なネットワークを指す言葉だ。階級意識が根強く残る英国では、パブリック・スクール出身のエリート層が排他的なネットワークを構築し、その特権を温存してきた。そんな彼らを象徴するフレーズが「要は、なにを知っているかではなく、誰を知っているかだ(It’s not what you know, it’s who you know)」という成句だ。原則として女性や労働者階級に、そのアクセス権はない。

 転じて現在、日本では「組織内で男性たちが形成してきた古い価値観、慣習、暗黙の了解に基づく意思決定プロセス」や「年配の男性が支配する排他的な組織」のことをオールドボーイズクラブと呼ぶ。
こうした日本的オールドボーイズクラブについて、第三者委員会はその構成メンバーの特徴を、極めてインパクトの強いひと言で説明する。

 すなわち、「同質性の高い壮年男性」であると。

 いくつか、該当する箇所を引用しよう。

 このように経営リスクの高い案件についての重要な意思決定が、編成ラインの3名のみ、編成の視点のみ、被害者と同じ女性が関与しない同質性の高い壮年男性のみで行われたことに驚きを禁じ得ない。 調査報告書 57ページ
 しかし、本事案は、港社長、大多氏、G氏(港社長ら3名)という編成ラインのトップ3の男性3名という同質性の高い3名が、女性Aの意思を確認しないばかりか、女性被害者という視点からの検討や専門家からの助言を得ての検討すらすることもなく、一方的に独断で女性Aにとって何が救済であるかを判断したものであり、被害者に寄り添った視点・ケアを欠いており不適切である。 同 191ページ
 港社長ら3名は、いずれも編成制作ラインであり、また有力な取引先と良好な関係を築くための「性別・年齢・容姿などに着目して呼ばれる会合」という悪しき慣習の中に身を置いてきた。こうした極めて同質性の高い3名が、「番組のことは編成ごと」として、外部(コンプライアンス推進室、弁護士、人権救済の専門家など)に助言を仰がず、偏狭な視野で意思決定をしてしまったことが、大きな間違いを生んだ。 同 258ページ

 第三者委員会が説明するように、港社長も大多専務もG編成局長も、揃って「編成ライン」の人間である。この「編成」という部署については少し、説明が必要だろう。

 テレビ局における「編成」は、タイムテーブル(番組表)を設計する局の頭脳であり、戦略本部である。その姿は、プロ野球チームの監督をイメージしてもらうとわかりやすい。

 視聴率データやスポンサー戦略、裏番組の動向、視聴者の消費傾向などを事細かに分析しながら、どのポジション(枠)にどんな選手(番組)を起用するのかを決めていく。それが「編成」の基本だ。報道、ドラマ、バラエティ、スポーツ、アニメ、歌番組、特番などなど、個性豊かな選手のなかから今シーズンのスタメンを決めていくわけである。当然、結果が出ない選手への戦力外通告(打ち切り)も、監督である「編成」がその決定権を握る。
 また、ここでの方針に従って「木曜22時からの1時間枠で若い女性(F1層)に向けた恋愛トークバラエティをつくってほしい」というように、制作サイドへのリクエストがなされることも多い。タイムテーブルを設計し、各番組のおおまかな方向性を決定するまでが「編成」の仕事だ。

 このように、言わば権力の中枢にいた「同質性の高い壮年男性」3名が、他の役員やコンプライアンス担当に助言を求めることもなく突き進んでいった結果、集団浅慮が起きた。これが第三者委員会の見立てだ。

 もう少し掘り下げてみよう。

集団凝集性と「オールドボーイズクラブ」の関係

 集団浅慮の先行条件として、ジャニスは凝集性の高さを挙げた。これは揺らぐことのない第一条件だ。
そして日本企業において、凝集性と「同質性の高い壮年男性」は極めて相性がいい。特に昭和型の、旧態依然とした企業においてはなおさらだ。いったいなぜか。

 伝統的な日本企業に見られる「メンバーシップ型雇用」の特徴として、大きく次の3点が挙げられる。

・新卒一括採用
・終身雇用制度
・年功序列制度

 就職するにあたって学生は、特別な専門分野を持つ必要がない。人物やポテンシャルを優先した新卒一括採用により、とりあえず雇用され、さまざまな部署を渡り歩くなかでゼネラリストとして育成されていく。それが新卒一括採用の建前だ。

 そして終身雇用が前提なのだから、問題さえ起こさなければ成果と関係なく一生雇ってもらえる。また、年功序列のおかげで長く勤めていれば一定程度の昇進と昇給があり、勤め上げれば退職金が保証されている。
これらがもたらす凝集性は極めて高い。

 ゼネラリストである以上、「どこに行っても腕一本で食っていける」というほどの専門スキルは身につかず、知識も技術も広く浅いものになりやすい。転職するインセンティブは少なく―退職金も考えれば―長年勤めれば勤めるほど、年功序列の恩恵から抜け出しにくくなる。そして実際、勤続20年や30年が過ぎたころには社内の暗黙知も熟知し、それなりに有用な「会社人間」となっていくだろう。

 ところがここに、大きな落とし穴がある。

 終身雇用と年功序列はおのずと、男性中心の組織を形成していくのだ。なぜか。
たとえば昭和の時代、結婚を機に「寿退社」するのは決まって女性だった。そもそも男女別採用がなされる時代も長かったし、それが撤廃されたあとも女性は「総合職」と「一般職」というコース別採用をされることが一般的だった。

 1986年に男女雇用機会均等法が施行され、1999年に改正されてもなお、「男は外で働き、女は家庭を守る」との価値観は根強く残っている。実際、出産や育児をきっかけに離職したり、非正規での時短勤務を余儀なくされる女性はいまだ多く、彼女たちは終身雇用や年功序列の恩恵に与ることができない。
つまり、結果として「終身」の雇用が守られてきたのは男性たちであり、年功序列によって身の丈以上の権力を得た「同質性の高い壮年男性」たちは、組織のなかで閉鎖的な「オールドボーイズクラブ」を形成してきたのである。

 なお、「同質性の高い壮年男性」たちに、特段の悪意はない。港社長、大多専務、G編成局長にしても、悪意に基づく決断はひとつも下していないはずだ。

 ただシンプルに、知らないのである。

 自分たちがいつの間にか「オールドボーイズクラブ」を形成し、狭い視野のなか意思決定を下したことを。それがなんら客観的な根拠に基づかない集団浅慮であることを。そしてそこにある無邪気な不知(知らなさ)こそが、「オールドボーイズクラブ」の恐ろしさであることを。