そういうみなさんの心情は理解できなくもないがが、個人的には「減刑」には反対だ。山上被告の「悲惨な生い立ち」は気の毒に思う部分もあるが、これを認めてしまったら日本が「テロ天国」になって収拾がつかないからだ。
具体的に言うと、自分は「社会的弱者だ」「不遇の人生を送ってきた」という恵まれない境遇の人が、この不幸をつくった原因だと考える政治家、官僚、有名人などの命を奪うことに「一定の正義」を与えてしまう。それによって、「第二、第三の山上徹也」が量産されてしまうのである。
なぜそんな未来が予想できるのかというと、世界の法治国家が「テロを助長するので、こういう愚かなことは絶対にやめましょうね」という取り組みと、180度真逆のことを日本はやってしまったからだ。
世界では当たり前の取り組みというのが「テロリストに名を与えない」ということだ。
本連載で繰り返し指摘しているが、世界では要人殺害、大量無差別殺人などの犯人の動機・思想・生い立ちなどを報じないのが常識だ。国によっては名前を伏せて顔にモザイクを入れる。なぜかというと、「暴力で世界を変えた人物」に感化・影響されてしまう者が必ずあらわれるからだ。
実際、2024年7月13日にトランプ大統領を銃撃した犯人の「不幸な生い立ち」に焦点を当てた大々的な報道は見つからない。24年12月にスロバキア大統領を暗殺しようとした人物も、名前を報じられない(2024年5月17日 BBC News Japan https://www.bbc.com/japanese/articles/cyrl7krl4jjo)。大統領が進めた政策や、大統領と関係のある団体によって苦しめられた「被害者」だった可能性もあるのに、なぜ社会全体で存在を黙殺するのかというと、いかなる理由があろうとも「暴力で自分の望むように世界を変えた人」を認めてしまった時点で、この社会は成り立たないからだ。
しかし、日本はそれと真逆の対応をした。連日連夜マスコミが名前や生い立ちを取り上げ、事件後すぐに映画化までされ、関連本もベストセラーになり、「イケメン」と女性ファンもついて、本人のもとには支援金まで寄せられた。これで減刑までされてしまったら「私も山上みたいに」と思い立つ人があらわれても不思議ではない。
という話をすると、決まって「山上被告は旧統一教会の被害者で追いつめられて、関係の深い安倍元首相を狙っただけでテロリストではない」と擁護する人たちがいる。
しかし、今回の法廷で本人の語った言葉からは、どう見ても「テロリスト」と言わざるを得ない。以下、新聞報道を引用する。
《「安倍氏への怒りはなかった」「(報道されれば)その方が旧統一教会に打撃を与える意味はある」「(事件は)少なくとも私や旧統一教会被害者にとってはよかった」といった被告の供述を引き出した》
(12月25日 産経新聞 https://www.sankei.com/article/20251215-LTHAHIKBHROLRIW2CXPLL4GLIU/)
これらの言葉を受けて、産経新聞は「目的が教団に打撃を与えることで、安倍氏への銃撃をあくまでその手段として割り切って実行したとすれば冷酷な印象は否めない」と書いているがこれは100%同意だ。
また、検察官から「あなたは捜査時『安倍晋三元首相が統一教会をどこまで支持か判らないが、不快に思ってます』と語っていたとある」と指摘されて、その発言を認めている。







