尾張国内では、当初西軍優勢で、織田伊勢守家が主導権を握りました。しかし、応仁の乱の後、将軍・足利義尚が東軍に味方した織田大和守家の織田敏定を正式な尾張の守護代に任命したため、二つの織田家の間で、再び争いが起こりました。

 この争いは、幕府の調停によって、一旦はおさまりましたが、その後、両者が再び一つとなることはなく、尾張は、上4郡を織田伊勢守家、下4郡を織田大和守家が支配するという形で、二分されてしまいます。

尾張を二分した岩倉織田家と清洲織田家

 このとき、織田伊勢守家は岩倉城を本拠としたため、のちに「岩倉織田家」と呼ばれるようになり、一方の織田大和守家は清洲城を本拠としたため、「清洲織田家」と呼ばれるようになります。

 つまり、信長が生まれる以前から、尾張ではすでに「二つの織田家」が覇権を争っていたわけです。

織田信長(演:小栗旬)は当時、清洲城を居城としていた (C)NHK織田信長(演:小栗旬)は当時、清洲城を居城としていた (C)NHK

信長の織田家は「清洲三奉行家」の一つ

 さらに話を複雑にするのが、清洲織田家の配下に存在した「清洲三奉行家」の存在です。清洲織田家の下にあって、清洲織田家を支える存在だった三つの織田家、そのうちの一つが、信長の家である織田弾正忠家だったのです。

 この織田弾正忠家は、信長の父・織田信秀の代になると、実力では主家である清洲織田家を凌ぐ存在へと成長していました。しかし信秀は、形式上とはいえ主家を立て、あくまで家臣という立場を保ち続けていました。

 ところが信秀の死後、清洲織田家は、「うつけ者」と評された信長を危ぶみ、織田弾正忠家を排除しようと動き始めたのです。

信長の妹、市を演じるのは宮崎あおい (C)NHK信長の妹、市を演じるのは宮崎あおい (C)NHK

守護殺害が信長に大義名分を与えた

 清洲織田家と信長は、戦を繰り返しましたが、そんななか天文23年(1554)、清洲織田家による、「守護・斯波義統の殺害事件」が起こります。

 清洲織田家が、尾張の守護である斯波義統を殺害してしまったのです。