槍の達人だった城戸小左衛門~史料は『信長公記』のみ
城戸小左衛門について記録している史料は、太田牛一が著した『信長公記』のみになります。『信長公記』の中で、城戸小左衛門が登場するのは、清洲城近くにあった天永寺の僧侶、天沢和尚が、武田信玄と面会し、織田信長の人物像について語る場面です。
天沢和尚は、清洲周辺で活動していた僧で、信長の行動や側近たちのことをよく知っていたと考えられます。その天沢和尚が、永禄年間、用事のため関東へ向かう途中、甲斐国を治める武田信玄を訪ね、信長の日常や人となりを語った、という形で、エピソードが記されていきます。
織田信長(演:小栗旬)と妹の市(演:宮崎あおい) (C)NHK
信長の身辺を固めた精鋭部隊「六人衆」
天沢和尚の話の中で紹介されるのが、「六人衆」と呼ばれる信長の側近集団です。
六人衆は、信長が鷹狩などで外出する際、常に身近に控えていた武士たちで、いわば信長の親衛隊、あるいはボディーガード的な存在でした。
その構成は、
•弓の名手が三人
•槍の名手が三人
という、純粋に武芸の腕前によって選ばれた集団だったようで、弓の名手として名前が挙げられているのは、浅野長勝、堀田孫七、そして、『信長公記』の著者本人である太田牛一になります。
一方、槍の名手として記されているのが、伊東清蔵、堀田佐内、そして、城戸小左衛門です。城戸小左衛門は、この六人衆の一人として、信長のすぐそばに仕えていた武士だったことになります。
槍の名手・城戸小左衛門の実像
史料からわかる城戸小左衛門の確実な情報は、実のところそれほど多くありません。
•織田信長に近侍した「六人衆」の一人であること
•槍の扱いに優れた武人であったこと
•信長から一定の信頼を受け、身辺警護を任されていたこと
この三点が、城戸小左衛門について断定できる、ほぼすべてです。
ちなみに、同じ槍の名手である伊東清蔵は、のちに信長の偏諱(へんき、功績ある家臣に主君の名前の一字を与えること)を受けて「伊東長久」と改名し、赤母衣衆に選ばれたことや、萱津の戦いで、兜をかぶる間もなく編み笠のままで戦ったため、信長から「編笠清蔵」と呼ばれた、などのエピソードが伝えられています。
それに比べると、城戸小左衛門と堀田佐内については、その後の動向や最期などの詳しい経歴は、ほとんど残されていません。







