矢野顕子さんとのピアノ連弾は
予定したものではなかった

――1985年のロッテルダム、ロカルノ、サンパウロなど海外映画祭での上映や、1986年におけるフランス国内でのテレビ放映で、観客や視聴者の反響はどのようなものがありましたか。

 当時、インターネットやEメールはありませんでしたが、テレビ局には手紙が届き、とても評判は良く、各地での海外映画祭においても高い評価を得ました。

 米国でも公開されそうになったのですが、いくつかの問題が解決されず、残念ながら実現できませんでした。ただし、評判自体はとてもよかったです。

――坂本さんは当時最先端のコンピューターや、フェアライトCMI(サンプリングとシーケンサーの機能を持ったキーボード。同時期に英国のユニット「アート・オブ・ノイズ」がこの楽器を用いて作り出した音色「オーケストラ・ヒット」でも知られる)といった新しい楽器を使いこなし、自身の楽曲でも自動演奏を多用していました。当時のYMOや海外の先駆的なミュージシャンの探求がなければ、こうしたデジタライズされた楽器の開発はなかったとも言えます。一方、坂本さんは幼少期からクラシック音楽の素養があり、東京藝術大学大学院の修士課程を修了、ピアニストとしての演奏能力も優れていました。当時から現代に到るまで他にいないタイプの音楽家と言えますが、そんな彼に当時何を感じていましたか。

 映画の終盤では、彼の作曲した「東風」を、当時のパートナーである矢野顕子さんとピアノで連弾しています。あのシーンは、実は予定したものではなく、その場で決まったものです。坂本さんは矢野さんのことを「私よりも優れた上手なピアニストだ」と言っていました。

 彼女はどちらかというとパフォーマー(演奏家)としてのピアニストであり、坂本さんはどちらかというと作曲家であり、革新的な音楽を生み出す人、パフォーマーというよりはクリエーターという感じですね。

 YMOは革新的で最先端の音楽を生み出しつつも、日本国内では「ポップスター」としての位置づけをなされていました。坂本さんはとても知的な人なので、YMOでは敢えて「ポップスター」を演じていたのではないでしょうか。そして、そういった「ポップスター」をパフォーマーとして演じていたのではないでしょうか。