日本は「身の丈にあった暮らし」ができていない?
ところが、永田町や一部の経済学者は、まだ夢を見ているようだ。「自国通貨建ての国債なら、いくら発行しても破綻しない」「計算上は大丈夫だ」と強弁する人々がいる。いわゆる積極財政論者と呼ばれる人たちだ。
計算上の理屈だけで、国家運営ができるものだろうか。経済を動かしているのは、血の通った人間だ。「日本国は借金を返す気がない」と判断されれば、誰もお金を貸してはくれない。一度壊れてしまった信用を取り戻すことがいかに困難か、想像力が欠如していると言わざるを得ない。
借金をしても大丈夫だ、という主張は、リスクを無視した無責任な楽観論だ。一度ハイパーインフレや財政破綻が起きれば、経済は取り返しのつかないダメージを受ける。
壊れた経済は、簡単には戻ってこない。むしろ、危機の時以外に安易に国債を発行することは、将来の成長を阻害するという冷厳なファクト(事実)と向き合うべき時が来ている。
かつて「失われた30年」と呼ばれた停滞期においても、日本は巨額の財政出動を繰り返してきた。しかし、景気は一時的に上向くだけで、持続的な成長にはつながらなかった。残ったのは山のような借金だけだ。
同じ失敗を繰り返そうとしている今、わたしたちが立ち止まって考えるべき問いは、「どうすればもっとお金を使えるか」ではなく、「どうすれば身の丈に合った暮らしに戻れるか」ではないだろうか。
ここで耳を傾けたいのが、「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏の言葉だ。
京セラやKDDIを創業し、破綻した日本航空を見事に再生させた稀代の経営者は、数字の向こうにある「人間の心」と「道徳」を重視した。
稲盛氏は、バブル崩壊後の日本が借金漬けになっていく姿を深く憂慮していた。困ったらすぐ国に頼る。国は借金をしてそれに応える。こうした依存の構造が、日本人の精神を腐敗させ、国を滅ぼすと警鐘を鳴らしていたのだ。







