チャルメラを吹きながらソバを作っていた時期もあったという乱歩。華々しく活躍する谷崎とは、全く違う人生を送っていた。
それでも結婚して子どもが生まれるとなると、さすがに今のままではいけないと考えるようになったようだ。3、4カ月の失業期間の間、家族ごと大阪の父のところに身を寄せているときのことである。暇に飽かして乱歩が書き始めたのが、探偵小説だった。
乱歩はわずか2週間で小説『二銭銅貨』を書き上げる。それを雑誌の懸賞に投稿したところ、すぐに掲載が決まった。日々、妄想し続けた蓄積が小説に転化されたのであろう。
乱歩は1922(大正11)年、28歳で小説家としての人生をスタートさせることになった。
これまで仕事がことごとく続かなかった乱歩だったが、小説家の仕事だけは続けることができた。その理由についてこんなふうに語っている。
「小説家になって、やっと朝起きなくてもよくなり、毎日きまりきった勤めをしなくてすむことになったので、やっと助かったのである」
デビューから3年後、乱歩は『D坂の殺人事件』を発表し、名探偵・明智小五郎を生み出す。作品のなかで小五郎に「ああした犯罪は先ず発見されることはありませんよ」と解説させたのが、あれほど感銘を受けた谷崎が書いた『途上』だった。
乱歩が紹介したことで『途上』は広く知られるようになるが、意外にも、そのことが谷崎を戸惑わせることになる。








