松下幸之助・松下電器産業相談役
 今回は、「週刊ダイヤモンド」1977年1月8日号に掲載された、松下電器産業(現パナソニック ホールディングス)の創業者、松下幸之助(1894年11月27日~1989年4月27日)の新春特別インタビューだ。

 前年の76年2月にはロッキード事件が発覚した。米航空機製造大手のロッキードの旅客機の受注を巡り、日本の政財界に巨額の賄賂がばらまかれた大規模汚職事件だ。事件に関連して同年7月には田中角栄・前首相が受託収賄と外国為替及び外国貿易管理法(外為法、現外国為替及び外国貿易法)違反の疑いで逮捕され、政界は揺れに揺れていた。

 同年12月に行われた総選挙で自民党は結党以来初めて過半数割れとなり、三木武夫首相は選挙の責任を取り総理総裁を辞任。そして、12月24日に福田赳夫内閣が発足したが、政治の世界は与野党伯仲の不安定状態の中で新年を迎えていた。

 日本経済は58年から73年まで、15年間にわたって平均年率9.5%に上る高い成長率を示してきたが、73年の第1次石油ショックを機にインフレが進行し、狂乱物価と呼ばれるほどの混乱をもたらした。だが、それに伴う景気後退も75年ごろには底を打ち、家電や自動車などの輸出産業が経済をけん引して、高度成長期にこそ及ばないものの回復基調に入ることを、われわれは知っている。ただ、77年当時の経営者の心境としては、先行きの見えない不安な状況ではあっただろう。

 インタビューでは、この動乱期に経営者はどのような心構えで乗り切っていくべきかという質問に終止している。それに対し、松下は「波乱万丈の年ほど、なすことある人にとっては面白い」と、むしろ混乱を楽しんでいる様子。また、「社長というものは、従業員が1万人おれば、1万人の心配を1人で背負っているもの。心配するのが、社長の本職だ」と話す。心配を“生きがい”と感じることができないようでは経営者失格だと言い、逆に真の経営者にとっては、まさに生きがいの多い時代なのだと、げきを飛ばしている。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

混乱、混迷の3年から
新しい味をつくり出す年

「週刊ダイヤモンド」1977年1月8日号1977年1月8日号より

――ここ2~3年、日本は危機的状況といいますか、混迷の時期を過ごしてきたわけですが、新年の52年は、いったい、どんな年になるだろうか。みんな非常に期待を懸けているわけですが、51年末の総選挙で自民党が敗北し、保革伯仲となって政治・経済の運営も難しくなるのではないかなど、不安な要素をはらんでいる。こういう中で、松下さんは、この新年をどう見ておりますか。

 新しい年を迎えて、本年はどんな年になるかということについては、誰しもが、それなりに考えていることだと思う。

 過去3年間は、非常に問題の多い年だった。石油ショックに端を発して、いろいろの問題があって、まことに物情騒然というか、混乱、混迷の年だった。しかし、ともかくそれを踏み越えて新春を迎えた。

 それだけに、願うことであれば、今年はもう過去3年間の面白くない年の味を捨て去って、新しい味をつくり出さなければならない希望の年である。というより希望の年たらしめないといかん、という感じが強いですな。今年は一つ、大いに勇気を持って、発想を変えて、非常な発展の緒に就く年たらしめたい、と思いますな。

 では、そういうことが可能かということですが、僕は可能だという考えを持っている。というのは、確かに過去3年間いろいろ問題はあったが、考えてみれば、それらは全部“人為”ですわな。天然現象によって行き詰まったものも多少はあるけれども、大部分は人為によって起こっている。人間がつくり出したものである。だから、それを今後いい状況に展開していくことも、人為によってできる。そういうことをはっきり意識することです。

 その次は、しからばどういうことを具体的にやったらいいのか、となる。これは、自分はどうあるべきか、あるいは日本の国はどうあるべきか、世界はどうあるべきかということを考えていく。そういう発想をしていって、それを現実のものとしてやっていく。それに取り組むには、相当の困難があるだろうし、いろいろ問題もあるだろう。

 政治についても、今回の選挙結果を悲観視することはない。私はむしろ、国民はあらゆる観点から考え、極めて良識ある答えを出したものと思う。そういう意味で百点満点の裁断であった。新しい内閣が、今後どういう政治を行うかは分からないが、そういつまでも低迷の政治を続けていくことはないだろう。やはり、新しい創意、工夫というものが必ず生まれるだろうと思う。

 だから、日本国民が団結して、いい年たらしめるということを意識し、それに踏み切って具体的な問題に取り組んでいったら、それはそれなりに知恵というものが湧いてくるものですわ。だから私は、今年は決して心配要らんと、“黎明の第1年”であると、こういうように考えて、この正月を迎えているわけです。