「乱世で名を後世に残したくとも、頼みとする者がいなくては心もとない。どうか鋤(すき:田畑を耕すための農具のこと)を捨てて、我に力を貸してくれないか?」
秀吉はそんな決めセリフを言ったらしい。アップルの創業者スティーブ・ジョブズが、当時ペプシコーラの社長だったジョン・スカリーをヘッドハンティングする際に言った名セリフ「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えたいとは思わないのか?」を思わせる熱い口説き文句だ。
もっともこの逸話が載る『武功夜話』は記載に誤りが多く、フィクションである可能性も高い。それでも、秀長が腹を決めて兄の誘いに乗り、自分の人生を大きく変えたことは確かだろう。
秀長は農民から武士に転身。天下人となる兄・秀吉をそばで支え続ける道を選んだ。
天下人となった兄を
支え続けた弟のその後
信長に仕える兄のもとで、秀長はどんな活躍をしたのだろうか。
『信長公記』によると、1574年に信長が伊勢長島一向一揆を攻撃したときに、当時34歳だった秀長は一揆勢に立ち向かったという。このとき、秀長は信長の「馬廻り」を務めていたようだ。
3年後の1577年に、秀吉が信長から中国攻略を命じられると、秀長も出陣している。秀長は但馬攻めで見事に軍功を挙げて、竹田城を任された。
その翌年の1578年、秀吉が播磨攻略を進めているときのことだ。当時、中国攻めに協力してくれていた黒田官兵衛に対して「信頼しているぞ」というメッセージを送るために、秀吉は官兵衛にこんな手紙を書いている。
「わが弟と同じように心から信頼している」
『下積み図鑑 すごい人は無名のとき何をしていたのか?』(真山知幸、笠間書院)
いかに秀長が秀吉から信頼を得ていたのかが、伝わってくるだろう。
秀長は、武士になってからも、家族みんなで協力して畑を耕していた頃と、同じように行動した。その温和な性格で、トップリーダーである兄の秀吉と、ほかの家臣たちの間を、いつもうまく調節したという。任された仕事はきっちりとこなす。そんなマジメなところも変わらなかったようだ。
兄を支え続ける――。そう決めた日から、秀長は兄を天下人にするための新たな下積み生活に入り、自分の役割をひたすらまっとうしたのである。
変わらずに持っていたい、自分のいいところは何だろうか?夢に近づくためには、それをどう生かしたらよいだろう。







