量子コンピュータが私たちの未来を変える日は実はすぐそこまで来ている。
そんな今だからこそ、量子コンピュータについて知ることには大きな意味がある。単なる専門技術ではなく、これからの世界を理解し、自らの立場でどう関わるかを考えるための「新しい教養」だ。
『教養としての量子コンピュータ』では、最前線で研究を牽引する大阪大学教授の藤井啓祐氏が、物理学、情報科学、ビジネスの視点から、量子コンピュータをわかりやすく、かつ面白く伝えている。今回は藤井氏にインタビューを実施。量子コンピュータに興味を持った背景や、一般の人が量子コンピュータについて知識を得る意味について聞いた。(取材・構成/小川晶子)
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量子力学を使ったモノ作りができないか?
――藤井先生のご専門は「量子コンピューティング」とのことですが、この分野に興味を持ったきっかけはあったのでしょうか?
藤井啓祐氏(以下、藤井):量子力学は、ミクロな世界を記述する際の最も基本的な枠組みであり、物理学として研究されてきたものです。
僕はもともと物理学に興味があったというより、エンジンやロケット、ロボットに興味があったので大学は工学部に入りました。
ただ、大学で実際に研究をするようになると、ロケットやロボットはすでにほとんど出来上がっている気がして、もっと根本的に新しいことをしたいと思うようになりました。そうした中で面白く感じたのが数学や物理でした。
数学や物理には何にでも応用できる柔軟性があるんですよね。とくに量子力学は数学的にものすごくきれいだと感じて惹かれました。
この根本的で普遍的な量子力学を使ってモノ作りができる分野がないだろうか、と考えるようになったんです。
ルールを理解して、攻略法を考える
藤井:当時読んだ『日経サイエンス』に量子コンピュータの記事がありました。2025年は量子力学が生まれて100年の節目でしたが、当時でもすでに80年くらい経っているので、量子力学についてはもうほとんどわかっていました。
でも、「量子力学についてわかっている」ことと、「量子力学でできている我々の世界がわかっている」こととは別です。
たとえばチェスは、ルールはわかりやすいですが、ルールがわかったからといってうまいプレイができるわけではありませんよね。
量子コンピュータ研究を含む「量子情報科学」も、量子力学をわかったうえで、この複雑な世界の仕組みを理解しようとする営みです。チェスで言うならルールを理解したうえで定石を見つけにいくというハイレベルな理解を目指すものなんです。そういう内容の記事を読んで、これだと思いました。
量子力学を前提に、何ができるのかを情報科学的な視点で明らかにしていくのは僕のモチベーションとマッチしていました。かつ、僕はもともとゲームが好きなので、ゲームを攻略するような感じでできると思ったんです。
空想の産物の中で戦える面白さ
――実際に量子コンピュータの研究をするようになって、どういうところを面白いと感じられましたか?
藤井:やはりゲームの感覚に近いんですよ。
今は現実に量子コンピュータが動いているわけですが、僕が研究を始めた頃は「空想の産物」でした。
本当に動いている量子コンピュータはなかったんです。
だから、その「空想の産物」の中で戦えるというか、何もない中で自由に研究を進められるのが面白くて。
常識にとらわれることなく、アイデア次第で大きな発見ができたりブレイクスルーに繋がったりするところも面白いですね。
――藤井先生は日本における量子コンピュータ研究の第一人者でいらっしゃいますが、1983年生まれとのことでお若いですよね。この分野は若い研究者の方が多いのでしょうか?
藤井:量子コンピュータの研究自体は80年代からあったのですが、ポピュラーになったのは2000年代に入ってからです。
2000年前後の研究者は、もともと超電導や数学など別の分野の研究をしていた人が越境して量子情報を研究しているという感じでした。
それが第一世代だとすると、僕らの世代は第二世代です。
学生の頃から量子コンピュータを研究し、博士号を取得するときのテーマとして量子コンピュータを選ぶようになった最初の世代なんです。
とはいえ、僕が研究を始めた頃は、量子コンピュータの研究室はほとんどありませんでした。
京都大学は自由な学風なのもあって、研究室にいる人たちはみんなバラバラに好きなことをやっていたんですよ。
指導教員に僕が量子コンピュータの研究をやりたいと言ったら「いいんじゃない?勝手にやって、教えてね」という感じで。
今は進化が目覚ましい量子コンピュータですが、僕が学生の頃は「100年経ってもできないだろう」と思われていました。
「量子コンピュータ」が民主化するフェーズへ
――今回の書籍タイトルは『教養としての量子コンピュータ』ということですが、一般の人たちが教養として量子コンピュータについて知ることには、どのような意味があると思われますか?
藤井:今お話ししたように、かつては「100年経ってもできない」と言われ、ともすればSFだと思われるくらいだった量子コンピュータが、近年、急速に進化しています。現実に動く時代になっているんです。
同時に、一般の人の量子力学に対する認知レベルも上がっていると思います。
宇多田ヒカルさんが「量子もつれ」という量子力学特有の現象をテーマに曲を作っていたり(「Electricity」)、星野源さんも歌詞に「量子」という言葉を入れていたり(「Star」)と、「量子」が文化的な活動の中で使われるキーワードになりつつあります。
AIが映画や音楽に取り込まれ、そしてみんなが日常的に使うものとして民主化していったのと同じように、量子コンピュータも成熟してきて、もはや研究者だけのものではないなと感じます。
コンピュータの賢い使い方を考えるのは、必ずしもコンピュータを作っている人ではないと思うんです。
もちろん研究者は、より良い量子コンピュータを作るための研究は続けていきます。
その一方で、もっと広い層が量子コンピュータを知って、どのように使うかを考えていくことで、よりよい社会を目指せると考えています。そのフェーズに来ている今だからこそ、『教養としての量子コンピュータ』を届けたいと思ったのです。
(※この記事は『教養としての量子コンピュータ』を元にした書き下ろしです。)





