津波は房総半島から四国までの広い範囲に押し寄せ、その高さは駿河湾沿岸では4~7メートル、志摩半島では10メートルに達した場所もあります。地震や津波によって倒壊した家屋は3万戸をこえ、死者は2000~3000人にのぼると推定されています。

安政東海地震の悪夢は
1日で終わりではなかった

 南海トラフ地震はまだ終わりませんでした。

 安政東海地震発生からわずか32時間後、1854年12月24日(嘉永7年11月5日)午後4時ごろ、今度は南海トラフの西半分を震源域とする地震が発生しました。「安政南海地震」です。推定マグニチュードはこちらも8.4。

 超巨大地震が2日連続で発生したのです。

 今度は中部地方から九州の広い範囲を、最大震度6~7と推定される激しい揺れが襲いました。とくに揺れが激しかったのは近畿地方から四国です。大きな津波も発生し、とくに紀伊半島から四国の太平洋沿岸には場所によって10メートルをこえる高い津波が押し寄せました。

 地震や津波の被害は、当時すでに32万人もの人たちが暮らしていた大都市・大坂でも発生しました。地震によって大坂市街の屋敷や蔵、寺社などが多数倒壊したものの、被害はそれほど大きいものではありませんでした。大坂での被害を大きくしたのは津波です。

 地震の揺れから約2時間後、高さ1~2メートルほどの津波が大坂の沿岸部にやってきました。津波は大坂に張り巡らされた堀川(運河)や河川をさかのぼりました。河口に停泊していた大型船を押し流して、橋をいくつも打ち壊し、無数の小さな船を巻き込みながら、上流へと進入しました。

 結果的に、大小合わせて2000艘近い船が破壊され、600人をこえる溺死者が発生しました。当時、余震を恐れた多くの住民たちが、避難のために小さな船に乗っていたと考えられており、そのことも被害を大きくしました。

 実は147年前に発生した宝永地震(1707年)のときにも大坂には津波が押し寄せて、同様の被害が発生していました。そのときも船が上流に押し流され、500人余りが亡くなりました。