しかし残念なことに、その被害の状況はほとんど伝承されていませんでした。そこで安政南海地震のあと、津波被害の教訓を伝えるための石碑が建てられました。
石碑には「大地震のあとには必ず津波が来るため、川船に避難してはならない」などと書かれています。
戦時中の昭和東南海地震で
軍需工場は壊滅状態に
1944年(昭和19年)12月7日の午後1時36分には、M7.9の巨大地震が和歌山県で発生しました。「昭和東南海地震」です。幕末の1854年に発生した「安政東海地震」以来、90年ぶりの南海トラフ巨大地震の発生でした。
震源域は和歌山県から三重県、静岡県にかけての南海トラフの東側、いわゆる東南海地震の震源域です。最大震度6の激しい揺れが、東海地方を中心に日本の広い範囲を襲いました。
家屋の倒壊状況から推測すると、愛知県の一部地域などでは震度7に達した可能性も指摘されています。
昭和東南海地震は、敗戦の色が濃くなってきた戦時下の日本で起きました。地震の揺れによって東海地方にあった多くの軍需工場に壊滅的な被害が生じました。静岡県浜松市では軍需工場が軟弱な地盤に建てられており、しかも機械を多く設置するために柱や壁をなるべく少なくしていたことから、ほとんどの工場が倒壊しました。
巨大な津波も発生しました。とくに津波被害が大きかったのは三重県で、沿岸部の集落が津波に飲み込まれ、多数の死者が生じます。昭和東南海地震では、地震の揺れによる家屋の倒壊や津波によって、東海地方を中心に1223人以上が亡くなりました。
なお、戦時中の日本において、巨大地震が発生して軍需工場などに大きな被害が生じたことは極秘事項でした。当時は政府によって厳しい報道管制がおこなわれ、地震の報道は抑えられていました。そのため、昭和東南海地震は「隠された地震」といわれることがあります。
ただし、地球規模で揺れが伝わる巨大地震の発生を完全に隠すことはできず、地震発生翌日にはアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙が、日本で巨大地震と津波が起きたようだと報じています。







