「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
「“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)
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インド人の「コミュニティ」の実態
外国人の部下を管理していると、ふとしたきっかけで彼らの家族観に触れることがある。私が駐在しているインドにおいて、インド民の社員が会社を休む理由の中に、興味深い理由がある。
それは、「“ソサイエティ(Society)”の用事があるので休みます」という理由だ。ソサイエティという言葉は、聞き慣れないと思うが、彼らの話を聞いていくと、我々日本人が幸せに生きるためのきっかけにもなる考え方が潜んでいた。
インドには、どんな町や村にも、「コミュニティ」、「ソサイエティ」と彼らが呼んでいる集団があり、その集まりで地域の行事や街の運営を執り行っている。インドのコミュニティというと、多くの日本人が、カースト集団のことを想起するが、これらの言葉が意味する集団は、ちょうど日本の町内会のようなイメージに近い地域の繋がりだ。
希少な「助け合える存在」
田舎に限った話ではなく、首都デリーでもそのような文化や意識は残っている。
タワーマンション型のコンドミニアムが何棟も立ち並ぶようなエリアでも、広大な中庭で季節の祭りやバザールが開かれる。コンドミニアムの運営会社もそのような行事やコミュニティの繋がりの形成は、自分達のマンション群の魅力を増すサービスに一つだと思っており、力のこもったイベントを開催している。
拙著『インド人は悩まない』では、「家族を使う」、「人を使う」ことの重要性を解説しているが、「コミュニティ」や「ソサイエティ」の存在は、これに繋がる。
インドのように、ほとんどの情報が信用できない国において、逃げも隠れもできない住所も知っている顔見知りの人々というのは、インド民にとって数少ない親密で助けあえる存在だ。だからこそ、そういった集団の行事や相互扶助を大事にする。
経済合理性の外のセーフティネット
このような繋がりは、平時でももちろん役に立つが、非常時には極めて重要な役割を発揮する。日本においても、東日本大震災の時、ある町では、津波で襲われる海側の地域に対して、山側の地域は炊き出しを行うという話が元々住民の間でついており、災害発生時にすぐに住民が動き出して支援が始まったという。
深刻なトラブルが起こった時、経済合理性の枠組みの中では、人間は一番不利な立場になる。なぜなら、困っている相手には高く売りつけることが経済合理的な行為だからだ。
だかこそ、経済合理性の外のセーフティネットの存在がどうしても必要になる。これを社会学者の宮台真司氏は「ホームベース」と呼んだが、インドはその存在が強く意識されている。競争社会でエゴを振り乱して戦うためには、そこから脱落した時に助けてくれる経済原理とは異なる集団の必要なのだ。
インド人が「コミュニティ」を維持する合理的な理由
15年前の東北ではまだそのような地域の協力関係があったかもしれないが、現代の日本の都市部ではどうだろうか。プライバシー重視と生活の個人化によって、そのような協力関係はどこかに行ってしまった感がある。日本の場合、高級マンションほどプライバシーに重点を置いていて、住民同士の大々的な交流会を行う文化はない。
「自己中の天才」ともいうべきインド民が、わざわざ時間を割いてまで「コミュニティ」や「ソサイエティ」を維持するのには合理的な理由がある。彼らと接していると、ムダ・意味がない・古臭いと言って日本人が捨て去ってしまったものこそ、合理性の塊のようなシステムだったのではないかと思う。インド民の生活という、日本からかけ離れたところに、あなたが幸せになる秘密が眠っているかもしれない。
(本記事は『インド人は悩まない』に関する特別な書き下ろし原稿です)









