志賀高原の魅力は、大小18のスキー場が連なる日本最大級のゲレンデがあること。そして何より、標高が高い山岳スキー場ならではのパウダースノー。その上、僕が本拠地とする熊の湯スキー場には、万能の硫黄泉がある。

 熊の湯スキー場には、旧知の志賀高原スキー学校がある。2人の子供をスキー学校に預けて、奥さんと2人でしばしスキーを楽しめると思っていた。ところが佐藤富郎校長に、初めてスキーを履く子供に滑りを教えるのは父親の務めだと諭された。

幼少期のスキーの思い出は
苦いものばかり

 長男はスクールに入れてもらえたものの、長女の面倒は僕がみることになってしまった。両足のスキーの先端を器具で固定し、ハの字でプルークボーゲンの練習をさせる。その娘を、僕は2本のロープで後ろから引っ張り安全を確保する。小さな女の子の体重でも、50歳のおっさんにとってはかなりの手応えだ。僕は娘がオーバースピードにならぬよう、自分のスキー板のエッジを立てて必死で踏ん張る。富郎さんと妻は笑って見ているが、娘の安全と父親の権威を守る熱き戦いがそこにあった。

 それに比べ、小学校4年の僕を初めて志賀高原に連れて行った親父は気楽なものだった。スキーを教えてくれるどころか、さっさと兄を連れゲレンデに出かけてしまった。放ったらかされた母親と僕ら下3人の兄弟は、スキー学校に入ることになった。

 スキー学校では技量に応じた組み分けのセレクションがある。幼い弟たちと同じ班に入れられては、兄の面子にかかわる。腕の違いを見せてやろうと、僕はターンしようと強引に足を捻じ曲げた。結果、スキーは曲がらず、曲がったのは僕の足首だけだった。

 捻挫は痛くても正月のスキー場は楽しかった。ところが親父が腰のヘルニアを発症し、石原家の正月スキーはなくなった。家族で逗子の家に籠って過ごす正月が戻ってきた。

 どこの家でも普通の正月の景色なのだろうが、親父がのんびりと家に居る景色はとても不思議に思えた。母は親父が家族と居ることを喜んでいたが、僕ら兄弟には微妙だ。兄弟でキャッチボールをやっていても、ボール蹴りしていても突然、親父が割り込んでくる。そうなると楽しいのだか、楽しくないのだか分からない。