岡本太郎から譲り受けた鐘が
石原家の除夜の鐘だった
大晦日は、さすがに親父も一緒に食卓を囲む。ひとしきり食べて飲み終わると親父は書斎に上がってしまう。そして子供らが眠い目を擦りながら「ゆく年くる年」を見ていると、永平寺の読経の声が大きくなり新年が近づいた頃、親父は再び下へ降りてくる。それは我が家の除夜の鐘をつく合図。家族揃ってバットを持って庭へ出る。我が家の軒下には、何本も角の突き出た不思議な形をした鐘が吊るされていた。親父が懇意にしていた岡本太郎氏から譲り受けたもの。変人には変人の友人がいるものと、子供心にも理解していた。
鐘はあっても、撞木はないからバットでつく。バットの先端で鐘の下の部分をついたものの、あまりいい音はしなかった。ボワーンだかビョーンだか、ちょっと情けない音が、我が家の除夜の鐘の音だった。
スキー場の正月。逗子の家の正月。大人になると正月休みには何度かスキューバダイビング行で南の島へお供した。僕が結婚する前年には、石原家の唯一の正月ハワイ旅行もあった。裕次郎叔父を意識してなのかホノルルには寄らず、ハワイ島で年を越した。思えば、大人になってからの方が親父とは楽しい正月を過ごしたかもしれない。
余命宣告を受けた後も
最後までパワフルに生きた父
そして何より記憶に残るのは、2021年の大晦日だ。膵臓癌の余命宣告を受けた親父はそれまで自宅と施設を行き来していたが、自身の体力に不安を感じ人手のある施設で年末年始を過ごすことを決めた。それでも年末年始ぐらいはスタッフの皆さんに楽して頂こうと、四人兄弟が当番制で親父の部屋に泊まることになった。
僕が受け持ったのが大晦日の夜だった。夕食を早々に切り上げると、8時を廻る前に親父は寝ると言い出した。大晦日といえば、「NHK紅白歌合戦」。もちろん親父が見るわけない。ならば「ザワつく!大晦日」。無論、見るわけない。恐ろしいほど高温多湿な部屋の灯りは早々に消えた。眠れない僕は、ベッドでスマホを眺めていた。すると1時間も経たぬうちに、ベッドから手を伸ばした親父が灯りをつける。







