「目白ジムに通っていた頃は、新日本の道場で朝10時から14時くらいまで練習をやって、ちゃんこを食って少し寝たあと、目白ジムに行ってキックボクシングの練習です。それで帰ってきたら夜はウェイトと別のトレーニングもやっていたので、新人の頃の私にとっては道場が人生のすべてでした」

 当時、プロレス界の新人がキックボクシングのジムに通うということはきわめて異例だったが、その意欲はどこから生まれてきたものだったのか。

「とにかく強くなりたかったんです。当時、新日本は『プロレスこそ最強の格闘技』と言ってましたが、極真空手も『地上最強のカラテ』と言ってたり、異種格闘技戦の影響もあって『どの格闘技がいちばん強いのか?』という話が広く語られていたんです。

 だったら新日本の道場でやっている寝技だけでなく、トータルで身につけたらもっと強いのではないかと思い、打撃の世界をのぞきたくて目白ジムに行ったんです。当時から目白ジムの練習の厳しさは知られていましたが、厳しいところでないと意味がないと思っていたので、迷わず選びました。

 ですが、目白ジムに通い始めた当初の目的は、自分が打撃を身につけるというよりも、打撃をかいくぐってタックルで入っていくことを考えていました。そういうチャンスがあるのかどうかを確かめたかったんです。実際、キックボクシングとレスリングの間合いはまったく違うので、それを経験できたことはのちにすごく役立ちました」

 レスラーやグラップラーがいかにして打撃をかいくぐって組みつくかは、現在のMMAでも重要視されているが、佐山は70年代半ばからすでにそれを研究していた。その先進性には驚くばかりだ。

猪木だけが理解していた
佐山の格闘技への思い

 当時の新日本には、「道場での練習に裏打ちされた強さ」にこだわりを持つレスラーが多かった。しかし、それはあくまでプロレスラーという職業を続けるうえでの矜持だ。佐山のようにプロレスの世界に身を置きながら格闘技を追求する者は、きわめて異端であり、それは当時の佐山自身も理解していた。