社会的な「成功レール」の崩壊、どんどん不確実になる未来、SNSにあふれる他人の「キラキラ」…。そんな中で、自分の「やりたいこと」がわからず戸惑う人が、世代を問わず増えています。本連載は、『「やりたいこと」はなくてもいい。』(ダイヤモンド社刊)の著者・しずかみちこさんが、やりたいことを無理に探さなくても、日々が充実し、迷いがなくなり、自分らしい「道」が自然に見えてくる方法を紹介します。
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幸せを感じた瞬間に沸き上がる「罪悪感と恐怖」
私が住んでいるマンションは、タワマンではありませんが、とても眺めがいいのです。
周辺一帯に高さ制限があるエリアなので、冬のよく晴れた朝には、遠くに富士山がくっきり見えます。
ある新年の朝も、空気が澄みわたり、富士山がきれいに見えました。「縁起がいいな」と思ったその瞬間、ふと気づいたのです。窓が尋常ではなく汚いことに。
もともと掃除は好きではありません。昨年は慌ただしく、大掃除も日常の掃除も後回しにしていました。
「せっかく縁起がいい景色なのに、この窓では良い気が入ってこない」と思い立ち、富士山が見える窓を磨き上げました。
ピカピカになった窓越しに見る富士山は、さらに美しい。
晴れやかな気持ちになったその瞬間、突然、心がぎゅっと締めつけられ、脳内に声が響いたのです。
「それがバレたら、奪われる!!!!!」
……誰に、何を?
一瞬、強烈な恐怖に襲われましたが、すぐに我に返りました。「いやいや、もう10年以上ここに住んでいるのに、今さら何を奪われるの?」と自分で自分にツッコミも入れられました。
でも、その声はあまりにリアルでした。
そもそも、私が富士山を見たからといって、誰かが損をするわけではありません。
富士山が減るわけでもないし、「良い気」が本当にあるのかどうかもわからない。
それなのに、なぜこんな罪悪感と恐怖が湧き上がるのか。考えてみて、心当たりがありました。
「遊びに行くのは宿題が終わってから」という呪い
私の母は、家に物が増えることを嫌う人でした。
何かを一つ手に入れたら、何かを一つ手放す。幼い頃から、そう教えられてきました。
最近ではミニマリスト界隈でもよく聞く言葉です。
「一つ買ったら、一つ捨てましょう」。
私にとって、「手に入れる」という行為は、同時に「何かを失う」ことと結びついていました。
大人になり、母は亡くなり、誰も私に「捨てなさい」とは言いません。それでも、無意識のレベルで身体に染みついていたのです。
何かを得たら、何かを奪われる。
これは、私の中に残った“呪い”でした。
思い当たることは、ほかにもあります。
子どもの頃、「遊びに行くのは宿題が終わってから」と言われませんでしたか。
私はいまだに、「やるべきことを終えなければ、自分の楽しみに時間を使ってはいけない」と感じてしまいます。
しかし、大人の“やるべきこと”は無限に湧いてきます。仕事も、家事も、責任も、終わりがありません。
その結果、自分の楽しみを後回しにし続け、どこかで罪悪感を抱えたままになる。
「一つ買ったら一つ捨てる」も、「宿題が終わってから遊ぶ」も、間違った教えではありません。
むしろ当時の私には必要だったのだと思います。
でも、そのルールが強く染みつきすぎると、いつの間にか自分で自分に制限をかけてしまう。
気づかないうちに、自分に“呪い”をかけているのです。
こうした無自覚の呪いが、今の行動や選択を縛っていることは、ほかにもあるのかもしれません。
*本記事は、『「やりたいこと」はなくてもいい。 目標がなくても人生に迷わなくなる4つのステップ』(ダイヤモンド社刊)の著者しずかみちこさんのメルマガから抜粋・編集したものです。




