人間とはグラデーションのあるもの
「ただの呪われたがり」。名台詞(めいぜりふ)である。昔の「ヒーロー」がいいことをして「お名前は?」と聞かれ「ただの通りすがりです」みたいなことを言って去っていく、ニヒルな感じがする。永見(大西信満)の「不器用ですけん」も同じ仲間で、ちょっといいことをしても謙遜する。その照れ隠しのような人柄が好ましい。
筆者はここで、物語における主人公=生贄(いけにえ)論(主人公が悲しみを背負うことで観客が癒やされる)を思い浮かべたのだが、橋爪國臣チーフプロデューサーはこのように言う。
「トキが呪いを肩代わりした場面は、トキがリテラリーアシスタントの第一歩を無意識に踏み出した場面と考えています。
僕はトキには、すべてを受け止めて利他的にふるまってほしくはないと思っていました。ヒロインのみならず、人間とは100%完璧ではないし、常に客観的にものを見ていたり利他的だったりすることはあまりないと考えているからです。トキは極力、そういう方向に行かないようにしてきました。
熊本に来てヘブンは作品が書けなくなります。そんな彼をまわりが支えていくにあたり、トキをヘブンの横に常にいてネタ出ししていた献身的な妻というふうに描くこともできたとは思います。
実際、過去の朝ドラにはそういう描き方をしてきたものがたくさんあります。でも、ヘブンとトキの関係はそうではないだろうなと思いました。第20週も第21週も、ヘブンが熊本の魅力について少しだけ気づくとき、自らがゼロから気づいたのではなく、トキの視点を通して気づくことができた。トキの体の中を通ったことで見えた現象だからこそ、ヘブンに響いたというふうになったらいいなと思いました」
「どちらかに偏りすぎると物語として面白くないですよね。『単なる呪われたがりです』というトキの言葉は自己犠牲にも聞こえるし、いやいや、単なる自分の興味や好奇心であるというふうにも見える。そこがグラデーションになっていたらいいなと思います。
人間らしさとはそういうものではないでしょうか。トキに限らず、登場人物はみな、わがままだし、でも自己犠牲の精神も多少は持っている。誰かひとりが犠牲になったらなんとかなるということにはしたくないと思っています」
自分本位と自己犠牲、悲劇と喜劇、すべてが役割を行ったり来たりしている、そんな入れ替え可能な世界の真理を『ばけばけ』は見つめている。それはヘブンの目を通しているのだと思う。









