秀吉は、そのあたりで野盗をしていた蜂須賀小六・又十郎の兄弟や、稲田植元・加治田隼人兄弟といった連中を1000名以上集めると、まず川上で城を作るための大量の木材を切り出し、それをすべて筏に組んでおきました。その後、夜陰に乗じて筏を一気に下流へ流し、墨俣で組み立てていった、というストーリーです。
秀吉(右、演:池松壮亮)は、前野長康(左、演:渋谷謙人)を通じて蜂須賀小六に連絡を取る(C)NHK
ただ、甫庵の『太閤記』でも、「一夜で完成させた」とは書いていません。作業を始めたのが永禄9年の7月5日で、大量の筏を川に流したのが9月5日。その後も攻めてくる美濃勢を追い払うために、柵の中から矢や鉄砲を撃って防御しながら、およそ7~8日かけて完成した、と書かれているのです。つまり『甫庵太閤記』では、準備も含め2カ月あまりかけて作った話になっており、「短期間で築いた」という記述はあっても、「一夜で築いた城」とはなっていません。
「一夜城」伝説を決定づけた『絵本太閤記』
では、なぜ「一夜城」という伝説が広まったのでしょうか。大きな役割を果たしたのが、これも江戸時代に作られた挿絵入りの読み物『絵本太閤記』です。
『絵本太閤記』では、最初に城造りに失敗したのが柴田勝家や佐久間信盛だと具体的に書いた上で、颯爽と秀吉が登場し「私なら、7日で城を作ってみせましょう!」と豪語します。
川上で木材を筏に組み、夜陰に紛れて川に流すくだりは甫庵と同じですが、『絵本太閤記』では続けて「翌朝見れば、見事な城郭が出来上がっていた」と書かれ、しかもその章のタイトルが「洲股砦成一夜(すのまたとりで いちやになる)」となっているのです。
本文では7日で作ったと書いてはあるものの、このサブタイトルと「翌朝、城が完成」という記述から、読者が「城が一夜でできたのだ」と思い込んでしまっても、無理からぬ内容ではあります。
さらに江戸時代、この『絵本太閤記』が講談や芝居で語られるうちに、秀吉の立身出世を象徴する「墨俣一夜城」のイメージが定着していったものと思われます。
史実の小さな出来事が、江戸時代の娯楽文化の中で英雄伝説として大きく育っていったのです。







