大河ドラマ『豊臣兄弟!』第7回より(C)NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』第7回では、蜂須賀正勝(小六)が登場 (C)NHK

歴史はエンターテインメント!かしまし歴史チャンネルへようこそ。NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』第7回では、織田信長の墨俣(すのまた)攻略が始まり、のちに秀吉の腹心の部下となる蜂須賀正勝(演:高橋努)が登場しました。「私が、城を築いてみせましょう!」美濃攻略に苦心する織田信長に、そう名乗り出た若き豊臣秀吉が、たった一晩のうちに難攻不落の城(砦)を完成させた……一夜にして城を築いたというこの「墨俣一夜城」は、秀吉が出世した原点として広く知られるエピソードですが、本当のことなのでしょうか?史料をひもといてみると、意外な事実が見えてきます。一夜城伝説の「生みの親」は、秀吉でも信長でもなく……。(かしまし歴史チャンネル/川合章子)

秀吉の「墨俣一夜城」、最も信頼性の高い史料には何と書いてある?

 豊臣秀吉の若き日の武勇伝として、もっとも有名なものの一つが「墨俣(すのまた)一夜城」のエピソードです。秀吉(藤吉郎)が、織田信長の命を受け、美濃攻めの最前線でたった一夜のうちに城を築いた――という痛快な話は、ドラマや講談でも何度も描かれてきました。

 しかし、このエピソード、実は100パーセント史実とは言えない話なのです。まったくの作り話ではないとはいえ、大部分は後世の創作と考えられています。

 まず、もっとも信頼性が高い史料とされる太田牛一の『信長公記』の記述によると、永禄4年(1561)、信長が「洲股要害の修築」を命じた、とだけ書かれています。つまり「城を新しく建てた」とは書いておらず、誰に命じたかも記されていません。

 すなわち、それまですでに存在していたらしい砦や要害を、あくまで修理した、という記録なのです。

江戸時代の軍記物語が「話を膨らませた」

 ところが、江戸時代に広まった軍記物語を見ると、話が次第に膨らんでいきます。

 小瀬甫庵の『太閤記』では、まず年代が永禄9年(1566)に変わっています。美濃を攻めていた信長が、要害の地である墨俣に何度も城を築こうとしたにもかかわらず、誰に命じても、途中で斎藤側の破壊工作にあって成功しなかったと書かれています。

「墨俣に砦を築こうとしても、完成近くなると敵の総攻撃を受けてやられてしまう」そう聞いた秀吉・秀長兄弟は壊される前に砦(城)を築く方法を考える(C)NHK「墨俣に砦を築こうとしても、完成近くなると敵の総攻撃を受けてやられてしまう」そう聞いた秀吉・秀長兄弟は、壊される前に砦(城)を築く方法を考える(C)NHK

 そこへ主人公の秀吉が、「私が、城を築いてみせましょう!」と名乗り出るのです。