トヨタが厳しい時代に社長に就任
1950年、トヨタ自動車は歴史上最大の危機に直面していた。戦争が終わった後の混乱の中で売上は減少し、資金は底を突いていた。労働争議も発生し、創業者である豊田喜一郎氏も責任を取って社長を辞任するなど、絶望的な状況であった。
誰もが逃げ出したくなる激動の中でトヨタの社長に就任したのが石田氏である。石田氏は逃げることなく真っ向から困難に立ち向かった。
社長に就任すると、石田氏は徹底的に無駄をなくす努力を始めた。紙は裏表を使い、鉛筆は短くて持てなくなるまで使うなど身の回りの小さな節約から実行した。「自分の城は自分で守れ」と社員に呼びかけ、銀行に頼らずに自分たちで稼ぐ仕組みを作っていった。
しかし石田氏のすごいところは、ただお金を使わないだけの単なるドケチではなかった点である。無駄な支出を極限まで減らす一方で、未来のための投資には驚くほど大胆にお金を使った、まさに「超絶ポジティブなドケチ」であったのである。
「超絶ポジティブドケチ」で何にお金を使ったか
石田氏は、新しい工場を建設し、新型車の開発には巨額の資金を投入した。無駄を省きながら技術者の夢には惜しみなく投資する――。素晴らしいバランス感覚によって、トヨタ自動車は倒産の危機を乗り越え借金に頼らない強い会社へと生まれ変わった。
石田氏は、利益について明確な信念を持っていた。彼の力強い言葉が次のように記録されている。
《そりゃワシだって、外国に追い付き、追い越したい。が、これを実現するものは単なる“数”の上の増産計画ではない。第一に車の性能、耐久力、安全性の点で、お客に喜んでもらえる車を造っているかどうか、ということだ》
《この実力ある車を造るには、もうけにゃならん。数だけ造る競争なら、世界第2位どころか、第4位でも第5位でも構わん。ビリだっていいんだ》
《世界第何位ということは、だから数ではなく、実質利益での勝負だ。まずもうける。それで実力ある車を造るための、研究費を出したい。これがワシの一生の念願であり、見えや外聞でやっているんじゃないんだ》
(ダイヤモンド・オンライン『佐吉翁の大番頭、石田退三・トヨタ会長が語った「数よりもうけ」』初出は1967年)







