貨物専用線の建設に
地元住民は激しく反発

 さて、そんな武蔵野線で唯一、貨物専用線として建設されたのが武蔵野南線だ。鉄道公団は当時、貨物の推定輸送量が片道1日7万トン、41両編成の貨物列車が片道156本に及び、旅客輸送の余力がないため、と説明している。

 鉄道空白地帯を結ぶ府中本町~南浦和~西船橋間とは異なり、武蔵野南線は南武線とほぼ並行し、大半が通過する川崎市は既に住宅化が進んだ地域だ。地上の用地買収は困難なので全区間の7割がトンネル、地下20~40メートルの深さを走っている。

 しかし、地元に利益をもたらさない貨物専用線に対する視線は厳しかった。川崎市には、品鶴貨物線(現・横須賀線品川~鶴見間)、東海道新幹線、駅がなく通過するばかりの路線が多かったことから、地元受益の少ない鉄道整備に対する拒否感が特に大きかった。

 鉄道公団は1967年にルートの選定作業を終え、同年10月に工事実施計画の認可を得ると市当局と地元住民に説明を行ったが、地盤沈下、振動・騒音公害を懸念する激しい反対に直面した。

 この交渉は鉄道公団にとって前例のないものとなった。住民側は問答無用の反対論を唱えたり、補償金のつり上げに走ったりはせず、徹底して科学的・技術的な裏付けとコミュニケーションを要求した。

 1971年に最も反対運動が強かった生田地区の反対協議会と締結した覚書は、トンネル工法(メッセル工法)の指定、周辺の地盤沈下モニタリングの実施、毎月の定例報告会の実施、地質調査や契約内容(設計書・仕様書など)の開示などを盛り込んだ異例の内容となった。

 対応の先頭に立った生田鉄道建設所所長は後に次のように語っている。現代にも通じる重要な観点なので、やや長いが引用したい。

 今まで彼等が目にふれた土木工事の実態から考えて、果たして現場では、建設業者が、たとえばダンプの運転手にいたるまでが、住民の環境保全に対するやり場のないこの気持を理解して、実行に移すであろうかについては根底から不信感があった。そこで土木工事を理解し、監視しようとするムード、彼等の表現を借りれば、「住民参加の土木工事」を考えるまでにいたった。
 工事中における発言力を留保するためにも「覚書」が必要であった。「きっと現場はラフな神経で施工するに違いない」この不信感をまず取り除かなくてはならないと、何よりも実績をもって答えようと努力している。
 もう一つの不信感は、国は地域住民のこと、自然保護のことをすっかり忘れ、ただ、ただ経済ペースで、時期を変え、担当する部門を変えて公共土木工事として彼等にせまってくるという「公共事業」そのものに対する不信感である。このことについては「政策」に当たる人達の考えなくてはならない事項のように思う。

「ベッドタウンに鉄道トンネルを掘る」『土と基礎』1974年2月号(土質工学会)