斎藤道三が討たれた長良川の戦い、そのとき少年半兵衛は?

 弘治2年(1556年)、斎藤道三は、息子の義龍と争った長良川の戦いで討たれます。重元は道三方だったため、戦後、義龍軍が大御堂城を攻撃してきました。

 このとき城を守ったのは、半兵衛の母と13歳の半兵衛、弟の久作だったと、『竹中家譜』には記されています。そこには、城を守るために、薙刀(なぎなた)を振るって陣頭に立つ母と、知略を尽くす少年半兵衛の姿が描かれています。

 この活躍が、本当のことだったのかどうかは不明ですが、竹中家に伝わる「誇りの物語」だったであろうことは、間違いありません。

 やがて斎藤義龍が急死し、若き龍興が家督を継ぎます。同じころ、半兵衛も家督を継ぎ、斎藤家に仕えますが、彼の家はもともと道三派。龍興に対する忠誠は、それほど純粋なものではありませんでした。

美濃・斎藤家の家督を継いだ、斎藤龍興(演:濱田龍臣)。斎藤道三の孫に当たる (C)NHK美濃・斎藤家の家督を継いだ、斎藤龍興(演:濱田龍臣)。斎藤道三の孫に当たる (C)NHK

 また、龍興の代になると、美濃は尾張の織田信長の攻撃を受け続け、国内の不満も高まってきていて、斎藤家も危うい状況に置かれていたのです。

稲葉山城乗っ取り事件~美談か、クーデターか?

 そんな永禄7年(1564年)、半兵衛が、龍興の居城・稲葉山城を占拠する、という事件が起こります。

 この事件は、江戸時代の軍記物『甫庵信長記』によって広く知られていますが、『甫庵信長記』では龍興の乱政を諫めるため、半兵衛がわずか16人で城を奪い、およそ半年後に、改心した主君に城を返したという、忠義の物語として描かれています。