つまり彼の意識は、“生み出す”機能ではなく、“後から目撃する”機能としてしか働いていないのだ。

 脳波検査では、彼の睡眠中、深いノンレム睡眠に特有の徐波の中に、覚醒時と似た高周波成分が混在していることが確認されている。

 つまり、脳の一部が眠っていても、他の部位――おそらく視覚運動連携に関わる領域――が覚醒している可能性がある。これがいわゆるローカルスリープ(局所的睡眠)であり、行動は“眠りながら”でも、部分的な覚醒があれば成立しうることを如実に示している。そこに意識は必要ないのだ。

「意識」の役割は無意識に現れる
行動を監視し暴走を抑制すること

 こうした現象を目の当たりにしたとき、私たちは意識の役割について再考を迫られる。

 意識とは、行動を“生み出す”ものではない。むしろ、無意識に発動された行動を観察し、ときに抑制し、整序し、社会的文脈に適応させる監督や監視役として機能している。

 運動や反応の多くは、大脳基底核や脳幹、小脳などのサブシステムによって制御されており、それは意識がなくても作動する。前頭前野が眠っていれば、自己抑制のシステムは機能せず、抑えられていた行動が暴走的に現れる。夢遊病も殺人や芸術活動でさえも、その帰結として現れる。

 行動するとはどういうことか。意識とは何のためにあるのか。

 私たちはふだん、自由意志によって行動を選択し、情報を選び取っているつもりでいる。だが、深い眠りの中でも人は行動し、芸術を生み、ときには命を奪うことすらある。

 そこには「私」という主体は存在しない。それでも、身体と神経は、確かな意図もなく動き出す。このとき、意識はどこにいるのか?

 私たちが「私」と呼んでいるものは、この行動の奔流に、後からラベルを貼って物語化する“語り手”にすぎないのだ。

 意識は、脳の高次的な働きとして生まれた後天的な機能である。その“下”にある無意識は、補助的な仕組みなのだろうか?いや、むしろ、無意識こそが先に存在し、意識はその上に重ねられた「付加機能」と考えるべきであろう。

意識は進化論的に
後から実装された機能

 進化の歴史を遡れば、生命は最初から意識をもっていたわけではない。原始的な生物は、反射や単純な感覚応答で環境に適応してきた。外界の刺激に対する定型的な反応――これは「無意識的行動」といえる。こうした行動において、自己の存在を意識することも未来の予測も必要なかった。

『意識の正体』書影意識の正体』(櫻井 武、幻冬舎)

 生物進化の歴史を鑑みた場合、魚類において初めて登場する神経ペプチド「オレキシン」は、覚醒状態を安定化させる分子である。

 これは、意識を支える覚醒を「保持する」ための仕組みが、進化の比較的後期に現れたことを示している。つまり、覚醒と意識の連続性は、睡眠に近い無意識的な生命活動の上に構築された戦略なのだ。

 無意識は、呼吸、循環、消化といった自律機能を始め、学習、直感、身体の動きにおいても中心的な役割を果たしている。私たちのほとんどの判断や行動は、無意識の処理によって自動的に支えられている。

 したがって、無意識は意識に先行し、意識を支え、必要に応じて意識を切り離してでも自らの生存を守る。対して意識とは、無意識という深い森の中で、時おり差し込む陽光のようなものかもしれない。