チョコレートが変えた運命

 黎智英氏は、すでに多くのメディアで紹介されている通り、中国共産党による中華人民共和国が誕生するより2年早い1947年に、香港に隣接する広東省で生まれた。

 しかし、中国共産党が政権を握るとともに、裕福だった彼の家族は批判にさらされ、父親は香港に逃れた。残った母は労働改造に送られ、姉や兄も地方に追いやられて一家は離散。黎は祖母と暮らしながら、幼い頃から生活費を自ら稼がなければならなかった。

 そうやって働いていた彼が、香港からやってきた客の荷物を運んだとき、その客が香港から持ってきたチョコレートをくれた。そのチョコレートの味に感動した彼は、当時まだイギリスの植民地だった香港への密航を決意し、それを成功させる。

 香港ではしばらくの間、不法入国者として働いていたが、中国の情勢が不安定化した1970年代には、なだれ込む中国人難民に対応すべく、香港植民地政府が「タッチ・アンド・ベース」政策を開始した。これは野球の得点方法と同じ論理で、中国から香港への密入国に成功した人にはそのまま香港での居住権を認めるという政策だった。すでに香港入りしていた黎はそうして正式な香港市民となる。

黎智英という「普通の香港人」

「タッチ・アンド・ベース」政策はこうして、若く、活力に溢れ、希望に満ちた多くの難民たちを「香港人」として受け入れることになった。その豊かで生気あふれる労働力を土台に、香港は世界の下請け工場となり、国際的なサービス提供都市へと成長し、さらに金融都市へと大きな変貌を遂げた。「香港市民」となった黎もまさにその流れに乗り、縫製工場の賃金で買った株で儲け、自ら工場を興し、カジュアルウェアブランド「ジョルダーノ」を設立。それが時代の波に乗り、著名な企業家となった。

 これを絵に描いたような成功譚だと思うかもしれない(少なくとも日本メディアの報道はそんなイメージを抱かせる)。しかし、ここで強調したいのは、黎のように中国から命からがら逃げてきて成功した人は、当時の香港にはごく普通にいたということである。前述したように、中国共産党の統治下にあった中国で黎と同じような運命に苦しめられていた人たちは少なくなかった。

 植民地香港で、彼らは「自由」を手にした。身一つで稼ぎ、家族を養い、政府が建てた公共住宅で暮らし、新たな事業を興すことができるという「権利」も与えられた。さらには稼いだ金を株や投資に注いでより大きな富を得ることもできた。そうやって財を成した人は決して黎一人ではなく、香港中の至るところにいた。

 つまり、日本人には絵物語のようにも思える黎の成功譚は、実は当時の香港では決して珍しいものではなく、黎はそのうち、「普通」すぎるほど普通の香港人の一人でしかなかった。