「アップルデイリー」誕生と、メディアの変容
しかし、1984年に中英共同声明が発表され、香港の主権の正式返還が決まったとき、最初の移民ブームが起きた。共産党による政治を恐れ、香港で得たものを投げうって多くの人たちが香港を離れた。このとき大暴落した不動産を買い占め、後に「香港の不動産王」と呼ばれるようになった人物に李嘉誠(リー・カーシン)氏がいる。李もまた難民の一人として逃れてきて、プラスチックフラワーの家内工業から株投資で成功し、その後、世界的な大富豪となったことはよく知られている。
財を成したとはいえ、黎はそこまでの大富豪ではなかった。あくまでも企業運営に成功した香港人ビジネスマンとして、普通の香港市民らしく暮らすレベルの資産家であった。
その彼が、香港に第二の移民ブームをもたらした1989年の天安門事件後の民主化運動に熱心に参与すると同時に「アップルデイリー」を興したのは、かつて中国での成長体験の記憶、そしてビジネスマンとしての自然な衝動からだった。
創刊当初の「アップルデイリー」は、近年のメディアでよく言われるような「反中国」や「ジャーナリズム精神」に溢れたメディアでは決してなかった。ひたすら娯楽色豊かで、写真を多用した文字通りカラフルな紙面で読者の目を引き、政治・社会面でも暴露話のような話題が満載のタブロイド紙だった。安売りキャンペーンで堅苦しかった当時の新聞業界に価格破壊をもたらし、業界内では「下品」だと忌み嫌われた。しかし、その紙面のにぎやかさと安さ、さらに旧態依然とした業界への「殴り込み精神」が市民にウケて人気新聞となった。香港人はもともと話題性の高い情報が大好きだったのだ。
同時に黎は、天安門事件をきっかけに高まった民主化運動へのバックアップにも力を入れた。同事件後に生まれた民主派政党「民主党」や法曹関係者が中心になって設立された「公民党」、さらには天安門事件における中国政府の責任を問う「香港市民支援愛国民主運動聯合会」(支聯会)への資金支援を惜しまなかった。当時の香港では1997年の主権返還を前に、返還後の民主化に対する市民の期待は高かった。
だが、中国政府はそれを黙って見ているわけにはいかなかった。
主権返還後の2000年代、香港のマスメディアでは、運営者の高齢化による転売や資本参入という形で次第に親中資本による「侵食」が進んだ。最も大きな反響を呼んだのが、地上波テレビ局「無線電視」(TVB)の親中化で、同局の番組やニュースでは次第に中国批判が影を潜める一方、礼賛が増え、中国に都合の悪いニュースが流れなくなった。それがインターネットを通じて幅広い情報に接することができる若い世代の激しい反感を巻き起こした。
一方、「アップルデイリー」は黎とその家族が資本を握り続け、中国系資本が参入を図ったとしても頑として受け付けなかった。そして、他のメディアで中国への忖度が浸透するにつれ、逆に同紙の中国批判や暴露報道が注目され、市民からの「タレコミ」をもとにした調査報道が大きな話題を呼ぶこともあった。







