ビジネスマンとデジタルテクノロジーのイメージ画像写真はイメージです Photo:PIXTA

シリコンバレーで全米屈指のベンチャーキャピタリストとなり、各国の大統領顧問や日本の内閣府参与を歴任した筆者は、27歳でスタンフォード大学経営大学院に入った。が、「競争相手を潰せ」「すべてを数値化せよ」と教わる中で、拭いきれない違和感を覚えたという。徹底した「数量化」がもたらす、ビジネススクールの功罪とは?※本稿は、原 丈人『THE BEST WORK「最高の仕事」を生きる』(サンマーク出版)の一部を抜粋・編集したものです。

徹底した「数量化」がもたらす
ビジネススクールの功罪

 ビジネススクールで学びながら疑問に思ったのは、マーケティング、人事の業績管理、財務管理など経営に関するあらゆるものをすべて「数量化」し、客観的に評価しようという考え方だった。

 アメリカは多民族国家で、人種、国籍、年齢、性別を問わずに、多くの異なる文化的な背景を持つ人たちがいっしょに働いている。文化が違えば同じ言葉でも意味の伝わり方が変わることも少なくない。

 こうした事情から、アメリカでは経営に関するあらゆる要素を数量化し、誰が見ても客観的に納得できる数字を評価の指標として使おうという考えが早くからあったのは理解していた。

 そもそもビジネススクールの目的は、優秀な経営者を輩出することにある。それがいつしか、そこで学んでいる多国籍の人たちに共通理解を授けるための方法として、ビジネスに関するあらゆる学問体系を数量化し、定量化しようと苦心した歴史があるのだ。

 しかし、ビジネススクールが教える経営手法は1980年代以降、功罪で言えば「罪」のほうが大きくなっていった。