おかげで、オランダだけはヨーロッパで唯一、長崎の出島(でじま)という限定された場所ながら、鎖国後も貿易が許されることになったのである。

 一方、オランダに出し抜かれたスペインとポルトガルだが、豊臣秀吉が天下を統一した頃より、すでに衰退期を迎えていた。スペインは、フィリピンの領有は続けて、仲介貿易をおこなっていたものの、もはやその主眼はアジアよりも新大陸のほうに向けられていた。

 また、ポルトガルはゴアやマカオを拠点に東洋貿易に主力を置いていたが、やがてスペインに併合されたため、オランダに植民地や貿易拠点を攻撃されてしまう。

 スペインから再び独立したときには、東洋における拠点はほとんど残っていなかった。

 日本との取引きでも幕府が中国生糸の輸入に関して、ポルトガル商人の独占を制限したため利益が激減し、鎖国以前からポルトガル船はオランダとの競争に耐えられない状況になっていた。

 ちなみにオランダ同様、プロテスタント国のイギリスは、アンボイナ事件によって、すでにアジアから締め出されていた。

 1623年のこと、インドネシア・アンボイナのオランダ商館に、イギリス商館の日本人傭兵が入り込んで何かを調べていた。これを発見したオランダ側は、イギリス商館長以下全員を捕らえて尋問したところ、オランダ商館襲撃計画を白状した。

 そこで、イギリス人10人、日本人9人、ポルトガル人1人を処刑した。これをアンボイナ事件といい、これをきっかけにイギリスはアジア市場から締め出されてしまったのである。平戸のイギリス商館も同年に閉鎖された。

 こうして、オランダは鎖国下の日本で、朝鮮や中国と並んで、ヨーロッパ諸国では唯一日本との貿易を許された国となったのである。