不確実性が増し、変化の速度が上がった現代社会に、どんな生き方をするべきなのか。ナシーム・ニコラス・タレブが世界に衝撃を与えた『ブラック・スワン』『反脆弱性』に続いて送り出したのが、『身銭を切れ――「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』だ。価値ある人生を送るために、単なる金銭的なインセンティブの問題と誤解をするべきではない、と著者が語る「身銭を切る」という真の意味とは? (文/上阪徹、ダイヤモンド社書籍編集局)

儲かっているけれど、怒っている。Photo: Adobe Stock

説明責任をほとんど負うことのない人たち

 誰も予想もしなかった、とんでもないことは本当に起こる。

 人間の思考プロセスに潜む根本的な欠陥を、不確実性やリスクとの関係から明らかにした著作『ブラック・スワン』が世界で話題になったことをご存じの方も少なくないかもしれない。

 著者のナシーム・ニコラス・タレブは、文筆家、トレーダー、大学教授および研究者という三つの顔を持つ、現代の急進的な哲学者とプロフィールにはある。

 生涯を通じて、運、不確実性、確率、知識の問題に身を捧げており、主な研究テーマは「不透明性のもとでの意思決定」、つまり人間にとって理解不能な世界で生きていくための地図やルールについて考えること。

 そんなタレブが『ブラック・スワン』、次作の『反脆弱性』に続いて著したのが本書だ。厚さは3cmに近く、400ページを超える大著でタレブは、「不確実で予測不可能な世界で、私たちがとるべき生き方」を説く。

「身銭を切る」というと、本来自分が支払う必要のない費用をあえて自分の金銭で支払う、という意味合いで受け止める人が少なくないと思うが、本書では単なる金銭的なインセンティブの問題と誤解しないでほしいと著者は記す。

 たとえば、身銭を切っていない人たちをこう語る。

知識階級と呼ばれている連中は、まったく深みのない近代主義的なスローガンを繰り返すくせに(たとえば、一方では首狩り族たちを応援しつつ、一方では「民主主義」という単語を連呼したりする。彼らにとって、民主主義というのは大学院の研究テキストに出てきた概念にすぎない)、自分たちの行動が招いた結果に対する代償はいっさい払わない。(P.30-31)

 必然的に、「文字どおり頭のねじがはずれた妄想人間たち」が集団に居座りつづけるはめになる。一般的に、近代主義的な抽象概念を連呼する人間は、一定の教育を受けてはいるが、説明責任はほとんど負わないと著者は記す。

 エアコンの効いた快適なオフィスに座っている人たちの失敗のツケを、罪のない人々が払わされているというのだ。

歴史では、リスクを冒す人々が統治してきた

 では、「身銭を切る」人たちとはどういう人たちなのか。実は「身銭を切る」という概念は、歴史に織り込まれているという。

 歴史的に、武将などは自分自身が戦士であり、いくつかの例外を除けば、社会はリスクを転嫁する人間ではなく、リスクを冒す人々が統治してきたと著者は記す。

過去の偉人たちは、一般市民よりもはるかに大きなリスクを冒した。ローマ皇帝の背教者ユリアヌスは、皇帝在位中、ペルシア戦線の果てしなく続く戦いで命を落とした。(中略)
ベッドの上で死を迎えたローマ皇帝は、3人にひとりにも満たない。(P.32-33)

 それどころか、今日でさえも、肉体的なリスク・テイクを求める一種の社会契約がある。

 1982年のフォークランド紛争では、イギリス王室は王室の成員のひとりであるアンドルー王子により高いリスクを負わせ、戦線でヘリコプターを操縦させたという。

 元来、貴族の地位は、名声と引き換えに個人的なリスクを負い、ほかの人々を守ることで得られるものだった。王室はその社会契約をまだ覚えていたのだ。

 戦士をトップに据えないことが文明だとか進歩だと思う人もいるが、それは違うと著者はいう。

官僚制度とは、人間が自分自身の行動の責任を取らなくてもいいようにするご都合主義の構造である。(P.34)

 失敗の代償を直接負わない人々が必ずいるのが、中央集権制度。だから、システムは分権化、局所化される。意思決定者をなるべく少なくするのだ。

 こうして「身銭を切る」という機構が備わっていないシステムは、不均衡が累積していくと、やがて吹っ飛び、分権的な形で自己修復するという。ただし、「もし絶滅を免れれば、の話だが」という前置き付きではあるが。

表が出れば大儲け。裏が出れば「ブラック・スワンだ」

 実際、近年において、こうした状況から引き起こされてしまったのが、リーマンショックだったわけだ。

たとえば、2008年、隠れた非対称性のリスクがシステム内に累積した結果、銀行が吹っ飛んだ。リスク転嫁がお得意な銀行家たちは、特定の種類の爆発的リスクを隠して安定した儲けをあげ、教科書のなかでしか成り立たないような学術的なリスク・モデルを使い(学者はリスクについて無知も同然なので)、いざ銀行が吹っ飛ぶと急に不確実性(目に見えない予測不能なブラック・スワンと、例のものすごく頑固な作家)の話を持ち出してきて、過去の収入はちゃっかりそのまま懐に収める。(P.34-35)

 これを著者は「ロバート・ルービン取引」と名付け、本書ではたびたび、この言葉が登場する。元アメリカ合衆国財務長官のロバート・ルービンのことだ。

 紙幣に署名の入っている財務長官のひとりだと著者は記すが、2008年の銀行崩壊に先立つ10年間で、シティバンクから1億2000万ドル以上をかき集めたという。

 ところが、シティバンクは文字どおりの支払い不能に陥り、納税者による救済を受けることになった。ところが、ロバート・ルービンは不確実性を言い訳として持ち出し、小切手に署名しなかったのだという。

 表が出れば大儲け。裏が出れば「ブラック・スワンだ」と大騒ぎ。ルービンは、納税者にリスクを転嫁したことさえ認めなかった。

 そうして、普通の人々が彼のために損切りを行った。彼のリスクを引き受け、彼の損失を穴埋めしたのだ。

しかし、最大の犠牲者は自由市場だ。もともと資産家を毛嫌いしていた一般大衆が、自由市場と高次の腐敗や縁故主義を混同するようになったからだ。実際には、ふたつはまったく逆のものだ。救済という仕組みによって腐敗や縁故主義を可能にしているのは、市場ではなく政府なのだ。救済だけでなく、一般的に政府の介入そのものが、身銭を切らなくてすむシステムを生み出している。(P.35-36)

 一方で、朗報もあったと記す。リスク・テイク業界は「ヘッジ・ファンド」と呼ばれる独立した小さな構造へと移ろっていったことだ。

 こうした動きが起きたのは、主に銀行システムがあまりにも官僚化しすぎたせいだと著者はいう。

官僚たち(仕事といえば書類仕事だと思っている連中)は、銀行を規則でがんじがらめにしたが、どういうわけか、その何千ページという追加の規制のなかで、身銭を切るという概念はみじんも考慮されていなかった。(P.36)

 失敗の被害を自身が被ることがない。これでは学習も妨げる。説明するのが得意な人間が増殖する。だが、これを他人事と思ってはいけない。

「一般的に、人は神聖なる国家(あるいは大企業も同じ)を崇拝すればするほど、身銭を切ろうとしなくなる。自分の予測能力を信じれば信じるほど、身銭を切ろうとしなくなる。スーツとネクタイを身に着ければ着けるほど、身銭を切ろうとしなくなる」のだ。

 だから、身銭を切る行為が大事になる。それは、人間の傲慢さを抑制するのだ。

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『世界は法律でできている』(元榮太一郎氏との共著/日経BP)、『東京ステーションホテル 100年先のおもてなしへ』(河出書房新社)、『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか』(日経ビジネス人文庫)、『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。