不確実性が増し、変化の速度が上がった現代社会に、どんな生き方をするべきなのか。ナシーム・ニコラス・タレブが世界に衝撃を与えた『ブラック・スワン』『反脆弱性』に続いて送り出したのが、『身銭を切れ――「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』だ。価値ある人生を送るために、単なる金銭的なインセンティブの問題と誤解をするべきではない、と著者が語る「身銭を切る」という真の意味とは?(文/上阪徹、ダイヤモンド社書籍編集局)
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説明責任をほとんど負うことのない人たち
誰も予想もしなかった、とんでもないことは本当に起こる。
人間の思考プロセスに潜む根本的な欠陥を、不確実性やリスクとの関係から明らかにした著作『ブラック・スワン』が世界で話題になったことをご存じの方も少なくないかもしれない。
著者のナシーム・ニコラス・タレブは、文筆家、トレーダー、大学教授および研究者という三つの顔を持つ、現代の急進的な哲学者とプロフィールにはある。
生涯を通じて、運、不確実性、確率、知識の問題に身を捧げており、主な研究テーマは「不透明性のもとでの意思決定」、つまり人間にとって理解不能な世界で生きていくための地図やルールについて考えること。
そんなタレブが『ブラック・スワン』、次作の『反脆弱性』に続いて著したのが本書だ。厚さは3cmに近く、400ページを超える大著でタレブは、「不確実で予測不可能な世界で、私たちがとるべき生き方」を説く。
「身銭を切る」というと、本来自分が支払う必要のない費用をあえて自分の金銭で支払う、という意味合いで受け止める人が少なくないと思うが、本書では単なる金銭的なインセンティブの問題と誤解しないでほしいと著者は記す。
身銭を払うと痛みにぶつかることがある。だから痛みは学びを助ける。痛みを味わわないと学べないことがあるのだ。だが、こうも言えるという。
たとえば、航空機の安全点検。退屈な作業も、乗員として航空機に乗せられることになったとたん、退屈でなくなる。
投資家であれば、財務諸表の脚注を読むという超退屈な作業が、それほど退屈ではなくなるのだ(著者は「真の情報が隠れている場所」と書いているが)。
リスクを背負ったとたん、第二の脳が目を覚ました
身銭を切っているとどうなるのか? こんなエピソードもあるという。
多くの薬物中毒者は、カリフラワー並みに頭の回転が悪いと著者は記すが、ドラッグを調達するとなると最高の知恵を絞り出すという。
彼らは薬物治療を受けるとき、ドラッグの調達にかける精神力の半分だけでも金儲けに費やしたなら、間違いなく百万長者になれると言われるという。しかし、まずその通りにはいかない。薬物中毒が治ると、奇跡的な能力も一瞬に消え去ってしまう。
金融を初めて面白いと思ったのは、ウォートン・スクール在学中、友人から金融オプションについて教わったときだったという。
当時は未開の領域。直感的に従来のベル・カーブを用いた理論、テール(極端な事象)を無視した理論に間違いがあると悟った。
「学者連中はリスクについてこれっぽっちも理解しちゃいない」と、その確率論的な証券の評価に間違いを見つけるために確率を学ばざるを得なかった。すると、不思議なことに、たちまち確率の勉強が楽しくなり、夢中にさえなったという。
理論の応用方法を探している学者とは違い、トレーダーが用いる数字は、まるで手袋のように問題にすっぽりとはまったという。
時には、一からモデルを発明する必要があった。数式を間違える余裕なんてなかった。数学を現実の問題に当てはめるのは、今までとはまったく違う体験だった。式を書く前に、目の前の問題を深く理解する必要があったのだ。
リスクに追われて得た知識は、ずっとあとまで残る
限界以上の力を振り絞って車を持ち上げ、子どもを助ければ、そうやって得た力は状況が落ち着いたあとも残るという。
薬物中毒から立ち直って知恵をすっかり失ってしまう患者とは違って、リスクを背負うという極限の状況や集中から得た知識は、ずっとあとまで手元に残るのだ。
そして身銭を切ることは、実存的コミットメントとしての名誉の問題といえると記す。リスク・テイクは、人間と機械との違いを決める問題であり、人間としての格の問題でもある、と。
そして、(中略)私にとっては、名誉ある人生を送ること以外に、成功の定義はない。(中略)自分の代わりに他人を死なせることは、不名誉の極みだ。(P.68)
名誉とは、どれだけの大金を積まれても絶対にしない類の行動があるということ。何らかの見返りのために魂を売ることはない。
そして、それは「しない」という態度だけではない。結果がどうなろうと無条件で「する」タイプの行動も含まれる。
さらに、名誉ある行動には、もうひとつ別の次元があるとする。ただ身銭を切るのではなく、別の誰かのために身銭を切る。つまり、他人のための自らのリスクを負うケース。集団のために何か大きなものを犠牲にするのだ。
しかし、大きな犠牲を払わなくても、自尊心や名誉で満たされる活動はあるという。たとえば、職人。起業家。オーナーの名前を冠する商品や企業は「私には失うものがある」と大声で叫んでいるのだと著者は記す。
何より一見、得に思えることも、自らの名誉を傷つけるならばしない。
典型的な理由は「税金」だ。いったんアメリカ市民になると、たとえ海外に住んでいても、全世界の収入に基づいて税金を支払わなければならなくなる。(中略)
でも、私はこうしてアメリカにやってきて、この地を受け入れ、コミットメントの証としてパスポートを取得した。(P.75-76)
フランスやイギリスなどの市民になれば、租税回避地に住んでいたとしても、ある程度の税控除が認められる。著者の両親はフランス市民なので、フランスへの帰化は簡単にできた。
だが、著者はアメリカのパスポートを取得した。多くの人に嗤(わら)われたという。
しかし、税金を安くしたいなら、ほかの国に逃げたりせず、自分自身のためにも集団(ほかの納税者)のためにも、戦う義務があるのだと著者はいう。自ら、身銭を切って。
本当のリスクとは何か。本当の「得」とは何か。心を惑わせているものとは何か。今、起こすべき行動は何か……。分厚い本書が、多くの示唆を与えてくれる。
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『世界は法律でできている』(元榮太一郎氏との共著/日経BP)、『東京ステーションホテル 100年先のおもてなしへ』(河出書房新社)、『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか』(日経ビジネス人文庫)、『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。




