「勝ち残る経営者の条件」という対談テーマについて、ドラッカーは「これまで私が出会った優秀なリーダーは皆、後継人事に優れていた。しかし、それほど優秀でないリーダーの場合は、彼が会社を辞めた途端に組織が崩壊している。そのような例を、私は数多く見てきた」と語っている。
皮肉な話だが、この記事が掲載された後のソニーは、企業にとって後継者選びがいかに大事かを身をもって教えてくれる存在となった。
そもそも1995年3月、ソニーの5代目社長だった大賀典雄は、次期社長に出井を指名した記者会見の席上で「消去法で選んだ」と口を滑らせた。決して、大賀が自信を持って選んだ後継者ではなかったのだ。その後10年間、出井がトップとして率いたソニーは、ITバブルの崩壊、液晶テレビ事業の不振などを経て業績を悪化させる。そして出井は2005年に、初の外国人CEOとしてハワード・ストリンガーにトップの座を譲る。しかし、そのストリンガーも一向に業績を立て直せないまま、08~11年度は4期連続の最終赤字を計上。CEO在任中に時価総額を2兆円以上減らし、退任することとなった。
後を継いだのは副社長の平井一夫だった。当初ストリンガーは、自らは引き続きCEOを兼務し、平井との二頭体制を組むことをもくろんでいたとされる。しかし、役員人事をつかさどる取締役会指名委員会がストリンガーの続投を認めず、平井に社長兼CEOとして全権を集中させることを決定した。当時の平井は51歳。思い切った若返りを果たす画期的な人事でもあった。
平井は12年からの社長在任6年間で構造改革を進め、業績を急回復させて、ソニーを暗黒期から抜け出させる立役者となる。そして18年に代表権のない取締役会長に退くと、“右腕”だった副社長兼最高財務責任者(CFO)の吉田憲一郎に後を託した。20年ぶりの営業最高益という状態でソニーを引き継いだ吉田は、さらに業績を伸ばす。20年度の連結決算では売上高8兆9993億円、純利益は前期比約2倍の1兆1717億円と最高益を更新し、見事に完全復活を遂げたのである。(文中敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
後継者の発掘・育成は
トップ自ら行うべき
ドラッカー ところであなたは経営者として、何に最も多くの時間を費やしているか?
出井 就任1年目と2年目は、自分の仕事の分析を行った。そのほとんどが実際の企業運営に関わるものだった。それが徐々に戦略的なことや将来的なコンセプトのことを考える時間が増えていった。実際に工場を訪ねるのではなく、将来のことを考え、ビジョンを明確に示し、それを会社全体に行き渡らせる。時間の使い方は劇的に変わっていった。
現在、われわれの組織は世界中に700を超える会社があるので、全社的に共通のビジョンを掲げる、と一口に言っても大変だ。